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2006年5月26日 (金)

継体天皇は本当に存在したのか。

継体天皇が即位して1500年を迎えますが、継体天皇は、本当に実在したのでしょうか。

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継体天皇については、「古事記」に「ヲホドノミコト」として「日本書紀」に「ヲホドノスメラミコト」として登場しています。
出生については、古事記には「ホムダノスメラミコト五世の孫・近淡国より上り」と簡単に触れています。
また、日本書紀には「ホムダノスメラミコトの五世の孫、彦主人王の子なり。母は振姫・・・・近江国高島郡三尾・・・・」と多少詳しく書かれています。

両方の記述から、ヲホド(継体天皇)は滋賀県の出身であると推定されますし、考古学者の大部分もこれを認めています。しかし、一部には渡来人説やヲホドが葬られた「今城塚古墳」のある摂津出身説などがあるそうです。
古代の天皇については実在しない天皇もあったようですが、「ヲホド(継体天皇)」に関しては、「古事記」「日本書紀」の成立年代からも非常に近いので実在したことは、多くの考古学者が認めています。
また、母、振姫の出身については、「古事記」では触れられていませんが、「日本書記」「上宮紀」には越前国の出身と受け取れる記述から福井県出身となる訳ですが、これも近江説などもあり、疑問の残るところです。
しかし、福井出身者としては、真実はどうあれ、継体天皇の母の出身地は越前であり、父の死後、越前国高向で青壮年期を過ごしたと信じたいのです。(写真は福井県坂井市丸岡町女形谷地区にある「天皇堂跡」です。ここで、中央から使者大伴金村に会い、即位の要請を受けられた伝えられています。)

今回はじめて知ったのですが、継体天皇は聖徳太子の曾祖父に当たるそうです。そう考えると一層、身近に感じてくるのは私だけでしょうか。

次回は、越前国高向についてご紹介しましょう。

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