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2006年6月25日 (日)

継体天皇の宮跡をめぐる旅(4)

今回は継体天皇の宮跡である弟国宮をご紹介しましょう。

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弟国宮(おとくにのみや)は、西暦518年に継体天皇が筒城宮から遷宮した3番目の宮です。
宮跡の推定地は、現在の京都府長岡京市今里付近と考えられています。具体的には乙訓(おとくに)寺や隣接した長岡第三小学校付近が候補に上げられています。

乙訓寺の乙訓は、長岡・向日・大山崎地域を乙訓郡といい、古くは「弟国」と記されていました。また、乙訓寺周辺の今里からは、弥生時代から古墳時代にかけての集落跡が広範囲に発見されています。そのほか、真言宗勝龍寺近くにある恵解山古墳や今里車塚古墳跡、隣の向日市には物集女車塚古墳など多くの古墳が点在しています。

Otokunitera2 乙訓寺は、長岡京から平安京へ遷都する原因といわれている桓武天皇の皇太子早良親王が幽閉された寺として知られ、本山の長谷寺から移植したボタンの花も有名です。



Nagaokakyousiannaizu1 その他、周辺には、「長岡天満宮」や法然上人が眠る西山浄土宗の総本山「光明寺」、小畑川を越えて向日市には「長岡京の太極殿跡」があります。

交通アクセス

乙訓寺へは(京都府長岡京市今里3丁目14の7)

JR長岡京駅西口から約2.5キロ
駅前から阪急バスにて今里・あかね方面(10・11系列)へ「薬師堂」下車徒歩5分

阪急長岡天神駅西口から約1キロ
駅前から阪急バスにて光明寺方面(20系列)へ「薬師堂」下車徒歩5分

車の場合は

名神高速道路「大山崎インター」から国道171号などで長岡京市内へ

下記の地図をご参照ください。

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2006年6月24日 (土)

継体天皇の宮跡をめぐる旅(3)

今回ご紹介する継体天皇の宮跡は筒城宮(つつきのみや)です。

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今から1500年前の西暦507年に継体天皇は樟葉宮で天皇に即位しましたが、4年後の西暦511年には、山城国筒城(つつき)に遷宮しました。

筒城宮は現在の京都府京田辺市多々羅付近と推定されています。この地名の多々羅とは、軍事的に重要な「鉄」を意味する言葉でこの付近で鉄の生産が行われていたことが想像されます。

Kannonzi21 さて、多々羅地区は木津川に流れ込んでいる「普賢寺川」があり、この「普賢寺」とは現在の「国宝 十一面観音立像」(拝観料400円プラス志)を本尊とする「大御堂観音寺」で、昔は「息長山普賢寺」と呼ばれていました。このため、継体天皇と深い関わりのある息長氏との関係が推測されます。
また、多々羅地区には「都谷」という地名があり、ここを「筒城宮」の推定地とする説もあります。

このような事から現在は「多々羅都谷」にある同志社大学田辺キャンパス正門近くの丘に石碑が建てられています。
なお、石碑を見学する時は、正門の守衛所で許可を取ってから学内に入ってください。また、学内は車両進入禁止ですので自転車も入ることが出来ませんのでご注意ください。

交通アクセス

電車の場合

同志社大学 田辺キャンパス(京都府京田辺市多々羅都谷1-3)

JR学園都市線 同志社前駅下車、駅前から約700m続く長い坂を上がると正門に着きます。

近鉄京都線 興戸駅 JRの踏切を越えて県道22号との交差点を左に約200mでJR同志社前駅に着く。

大御堂観音寺(京都府京田辺市普賢寺下大門13)

観音寺へは、JR三山木駅または近鉄三山木駅から県道65号生駒井手線を山の方に約2KM、普賢寺バス停の「観音寺」案内看板付近で普賢寺川を渡り右折、川沿いの細い参道を行く(バスの場合は近鉄三山木駅前から普賢寺で下車 普賢寺川を渡る徒歩数分 運行本数が少ないので注意が必要)

車の場合

京奈和自動車道 田辺西インターから国道307を京田辺市内へ
同志社大学へは県道22号八幡木津線(山手幹線)
観音寺へは県道65号生駒井手線を京田辺市から生駒方面へ、自動車学校を過ぎて「普賢寺」バス停付近「観音寺」案内看板のある交差点を右折して普賢寺川を渡り右折し、川沿いつづく田んぼの中の車一台が通れる参道を行く。境内に駐車場あり。

下記の地図を参考にしてください。

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2006年6月20日 (火)

継体天皇の宮跡をめぐる旅(2)

今回は、継体天皇の宮跡から千五百年前に即位式が行われた樟葉宮(くずはのみや)についてご紹介しましょう。

樟葉宮については、現在の大阪府枚方市楠葉丘2丁目19の1にある交野天神社奥の林の中にある貴船神社付近が、推定地とされています。

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交野天神社(かたのてんじんしゃ)は、桓武天皇が長岡京へ遷都したときに神事を行った所でもあります。このため、神社へ入る鳥居の所にこの事が掲示されています。
さて、住宅街の道路から塀の上に小さな入口案内看板とクリーニング店がある路地へ曲がると車2,3台が止まれる広場があり、その奥に鳥居が見えます。
一の鳥居をくぐり、うっそうとした林を進むと途中に七福神と書かれた石が傍らに置かれています。由縁はわかりませんが、そこを過ぎると道が左に曲がり二の鳥居の奥に本殿が見えてきます。

本殿の右側に小道が続き、その奥によりうっそうとした林の中へ入っていきます。周りは住宅街や中学校がありますが、この林の空間だけは薄暗く周りとは隔絶した感じがします。50mほど進むともう一本の小道とつながり、そこに「継体天皇の即位した樟葉宮がこのあたりである」との説明看板と石柱があります。

Kuzuha21_1 そして小高い丘の上につづく石段を登ると貴船神社があり、ここにも石柱があります。
帰りは、もう一本の小道を通って林を抜ける所に鳥居があり、住宅街に通じる路地があります。ここを左に行くと一の鳥居がある広場へ戻ります。
以上が交野天神社の一周コースです。時間にして15分ぐらいです。

交野天神社への交通アクセス

交野天神社(大阪府枚方市楠葉丘2丁目19-1)

京阪電車のくずは駅で下車し、くずは2番のりばから「くずは丘コミュニティバス」で「市民の森」行きバスに乗り「市民の森」下車、樟葉中学校横を通り徒歩約5分ぐらいです。

車の場合、山の斜面に市街地が広がり、計画的に道路整備がされないまま住宅地化したために車一台がやっと通れるような路地がたくさんありますので、注意が必要です。かならず、道路地図をもって来てください。
交野天神社は斜面に広がる住宅地の上部、枚方市と八幡市の市境付近にありますので、八幡市側の「西山和気交差点」付近から入る方が便利かもしれません。
「西山和気交差点」を樟葉方面に下り、最初の小さな交差点(歯科医院・民家と洋菓子店との間の道路)を左に入り、道なりに進み突きあたりの三叉路を右に折れ、約200mぐらいのところにあります。

参考までに交野天神社付近の概要地図を付けます。

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2006年6月18日 (日)

継体天皇の宮跡をめぐる旅(1)

今回は継体天皇の宮跡について、ご紹介しましょう。

継体天皇は今から千五百年前の西暦507年に樟葉宮で即位した後、三回遷宮を行っています。この遷宮の過程についていろいろと謎があるようです。
その謎とは、「なぜ、大和政権の本拠地で即位しなかったのか。」
「なぜ、淀川周辺で遷宮を繰り返したのか。」
「なぜ、早い時期に大和政権の本拠地、大和へ入らなかったのか。それとも入れなかったのか。」など、いろいろと言われています。
この事が継体天皇の謎を一層深めているのです。

では、ここで継体天皇の即位地や遷宮地をご紹介しましょう。

Kuzuha21 507年、樟葉宮(くずはのみや)にて即位。
樟葉宮跡 交野天神社の奥、林の中にある貴船神社付近に石碑があります。(大阪府枚方市楠葉丘2-19-1)



Tutukinomiya21 511年、筒城宮(つつきのみや)へ遷宮
筒城宮跡 同志社大学田辺キャンパス周辺、正門すぐ近くの丘に石碑があります。(京都府京田辺市多々羅)
同志社大学内へは、正門で駐車場や駐輪場の場所を聞いて許可を受けて入ってください。なお、自転車は大学構内へは入れませんので注意してください。

Otokuninomiya21 518年、弟国宮(おとくにのみや)へ遷宮
弟国宮跡 乙訓寺・長岡第三小学校付近、乙訓寺はボタンの花で有名ですが、付近には石碑等は見あたりませんでした。(京都府長岡京市今里)



Iwaretamaho11 526年、磐余玉穂宮(いわれたまほのみや)へ遷宮
磐余玉穂宮跡 稚桜神社付近の丘、地元では「おやしき」と言われている場所があるそうです。はっきりとした場所は判りませんでした。(奈良県桜井市池之内)

以上が継体天皇に関わる宮跡です。このうち、樟葉宮・筒城宮・弟国宮は淀川水系の木津川・桂川が合流する地点を中心に近い地域にありますので、徒歩ではちょっと距離があるかもしれませんが、サイクリングやドライブにて宮跡を巡ってはいかがでしょうか。また、継体天皇の墓と言われる「今城塚古墳」も近くの高槻市にあります。なお、「今城塚古墳」は高槻市によって「歴史公園」として整備工事が進められていますのでご注意ください。

では、次回はそれぞれの宮跡について、もう少しくわしく紹介しましょう。

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2006年6月 3日 (土)

古代歴史ロマンへの旅・安曇川(1)

今回は古代歴史ロマンの街・安曇川をご紹介しましょう。

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安曇川は、琵琶湖の北にある旧安曇川町、今は平成の大合併で高島市となっています。
この街は、継体天皇が生まれた「近江国高島郡三尾」があった場所です。
街の西側にある山沿いに継体天皇の父「ヒコウシ王」の墓と推定されている「彦主人王御陵」(左の写真)をはじめ、御陵から下った所にある三尾氏を祀った「田中神社」や母「振姫」が子供を産む時にもたれかかった「もたれ石」がある「旧三尾神社跡」。そしてヒコウシ王が子供を授かるとのお告げを受けた「三重生(みお)神社」などがあります。

また、三尾里から鴨川に架かる「天皇橋」を渡った所には、三尾一族の繁栄を偲ばせる豪華な副葬品が出土した「鴨稲荷古墳」があります。
このほか、安曇川から少し離れた旧高島町拝戸地区には母「振姫」を祀った「水尾神社」があります。
来年、継体天皇が即位して1500年を迎えるにあったて、古代歴史ロマンを感じながら「継体天皇のふるさと・安曇川」を歩いてみては、いかがでしょうか。

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上の写真は、三重生神社と旧三尾神社跡です。くわしくは、高島市HPやJR西日本HPの中の「滋賀を歩こう」などをご参照ください。

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