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2006年6月24日 (土)

継体天皇の宮跡をめぐる旅(3)

今回ご紹介する継体天皇の宮跡は筒城宮(つつきのみや)です。

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今から1500年前の西暦507年に継体天皇は樟葉宮で天皇に即位しましたが、4年後の西暦511年には、山城国筒城(つつき)に遷宮しました。

筒城宮は現在の京都府京田辺市多々羅付近と推定されています。この地名の多々羅とは、軍事的に重要な「鉄」を意味する言葉でこの付近で鉄の生産が行われていたことが想像されます。

Kannonzi21 さて、多々羅地区は木津川に流れ込んでいる「普賢寺川」があり、この「普賢寺」とは現在の「国宝 十一面観音立像」(拝観料400円プラス志)を本尊とする「大御堂観音寺」で、昔は「息長山普賢寺」と呼ばれていました。このため、継体天皇と深い関わりのある息長氏との関係が推測されます。
また、多々羅地区には「都谷」という地名があり、ここを「筒城宮」の推定地とする説もあります。

このような事から現在は「多々羅都谷」にある同志社大学田辺キャンパス正門近くの丘に石碑が建てられています。
なお、石碑を見学する時は、正門の守衛所で許可を取ってから学内に入ってください。また、学内は車両進入禁止ですので自転車も入ることが出来ませんのでご注意ください。

交通アクセス

電車の場合

同志社大学 田辺キャンパス(京都府京田辺市多々羅都谷1-3)

JR学園都市線 同志社前駅下車、駅前から約700m続く長い坂を上がると正門に着きます。

近鉄京都線 興戸駅 JRの踏切を越えて県道22号との交差点を左に約200mでJR同志社前駅に着く。

大御堂観音寺(京都府京田辺市普賢寺下大門13)

観音寺へは、JR三山木駅または近鉄三山木駅から県道65号生駒井手線を山の方に約2KM、普賢寺バス停の「観音寺」案内看板付近で普賢寺川を渡り右折、川沿いの細い参道を行く(バスの場合は近鉄三山木駅前から普賢寺で下車 普賢寺川を渡る徒歩数分 運行本数が少ないので注意が必要)

車の場合

京奈和自動車道 田辺西インターから国道307を京田辺市内へ
同志社大学へは県道22号八幡木津線(山手幹線)
観音寺へは県道65号生駒井手線を京田辺市から生駒方面へ、自動車学校を過ぎて「普賢寺」バス停付近「観音寺」案内看板のある交差点を右折して普賢寺川を渡り右折し、川沿いつづく田んぼの中の車一台が通れる参道を行く。境内に駐車場あり。

下記の地図を参考にしてください。

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