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2006年6月18日 (日)

継体天皇の宮跡をめぐる旅(1)

今回は継体天皇の宮跡について、ご紹介しましょう。

継体天皇は今から千五百年前の西暦507年に樟葉宮で即位した後、三回遷宮を行っています。この遷宮の過程についていろいろと謎があるようです。
その謎とは、「なぜ、大和政権の本拠地で即位しなかったのか。」
「なぜ、淀川周辺で遷宮を繰り返したのか。」
「なぜ、早い時期に大和政権の本拠地、大和へ入らなかったのか。それとも入れなかったのか。」など、いろいろと言われています。
この事が継体天皇の謎を一層深めているのです。

では、ここで継体天皇の即位地や遷宮地をご紹介しましょう。

Kuzuha21 507年、樟葉宮(くずはのみや)にて即位。
樟葉宮跡 交野天神社の奥、林の中にある貴船神社付近に石碑があります。(大阪府枚方市楠葉丘2-19-1)



Tutukinomiya21 511年、筒城宮(つつきのみや)へ遷宮
筒城宮跡 同志社大学田辺キャンパス周辺、正門すぐ近くの丘に石碑があります。(京都府京田辺市多々羅)
同志社大学内へは、正門で駐車場や駐輪場の場所を聞いて許可を受けて入ってください。なお、自転車は大学構内へは入れませんので注意してください。

Otokuninomiya21 518年、弟国宮(おとくにのみや)へ遷宮
弟国宮跡 乙訓寺・長岡第三小学校付近、乙訓寺はボタンの花で有名ですが、付近には石碑等は見あたりませんでした。(京都府長岡京市今里)



Iwaretamaho11 526年、磐余玉穂宮(いわれたまほのみや)へ遷宮
磐余玉穂宮跡 稚桜神社付近の丘、地元では「おやしき」と言われている場所があるそうです。はっきりとした場所は判りませんでした。(奈良県桜井市池之内)

以上が継体天皇に関わる宮跡です。このうち、樟葉宮・筒城宮・弟国宮は淀川水系の木津川・桂川が合流する地点を中心に近い地域にありますので、徒歩ではちょっと距離があるかもしれませんが、サイクリングやドライブにて宮跡を巡ってはいかがでしょうか。また、継体天皇の墓と言われる「今城塚古墳」も近くの高槻市にあります。なお、「今城塚古墳」は高槻市によって「歴史公園」として整備工事が進められていますのでご注意ください。

では、次回はそれぞれの宮跡について、もう少しくわしく紹介しましょう。

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コメント

越前三国に住んでいる者です。地元には継体大王に関する伝承がたくさんあったり、小字名にも残っています。越前のほぼ全域を流域とする九頭竜川の治水と三国湊の基礎を作ったといわれています。半島と大陸との交易、内陸水運の重要性を越前で経験したことが、河内・山城で淀川沿いに宮を構えた1因ではなかったのでしょうか。ちなみに11/19(日)三国社会福祉センターで「継体天皇と三国水門開闢」という郷土資料館主催の講演会があります。無料ですので機会がございましたら、ご参加下さい。
継体大王の別業があったといわれる場所が三国に2ヶ所あります。このうち1ヶ所は、加越台地上にあって
「大屋敷山」と呼ばれています。開析谷に囲まれた台地面にあって、付近には同様の地形の所に立地した中世の城館跡もあります。三国にお越しの際は是非探してみて下さい。

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