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2006年7月29日 (土)

継体天皇の陵墓を旅する・高槻市

今回は継体天皇の陵墓についてご紹介しましょう。

継体天皇は今から1500年前の西暦507年に樟葉宮(現枚方市楠葉丘2丁目交野天神社付近)で天皇に即位され、筒城宮・弟国宮と遷宮されて最後に磐余玉穂宮(現奈良県桜井市池之内付近)にて西暦531年に崩御されました。

陵墓は大和国ではなく、摂津国三島郡藍野にある藍野陵(あいののみささぎ)に葬られました。現在の大阪府高槻市・茨木市付近です。

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Ootachausuyama11 宮内庁は明治時代の調査によって茨木市太田にある「太田茶臼山古墳」を継体天皇の藍野陵として御陵に指定しています。しかし、近年になって考古学的な古墳の形状などからこの古墳は継体天皇より前の時代の古墳であることが判ってきました。
このような事から、現在では「太田茶臼山古墳」の東方1.5キロのところにある「今城塚古墳」(高槻市群家新町、群家小学校横)が真の継体天皇陵墓ではないかと考えられています。

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「今城塚古墳」は古墳の形が大きく崩れていたことから重要な古墳として扱われませんでした。
その原因は「戦国時代に砦として使われた」からだとされていましたが、近年の発掘調査で「地震による断層」が確認されてから「地震によって発生した地滑り」で古墳の形状が大きく損なわれたのが主要な原因ではないかとされています。
因みに地震は中世の砦の痕跡にも及んでいることから文禄5年閏7月13日(西暦1596年9月5日・この年文禄から慶長に年号を改める)に発生したM7.1の「慶長伏見地震」と言われ、この地震では伏見城天守閣が破壊され奈良・大阪・神戸で大きな被害が出たと言われています。

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現在は専門家によって調査が行われ、高槻市によって「史跡公園」(平成23年完成予定)として整備が始まっています。
現在、古墳内は工事のため立ち入りが禁止されています。

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一方、これらの古墳で使用された「ハニワ」を作った大規模な工場の遺跡が「今城塚古墳」から1キロぐらい西北方向に行った「名神高速道路」をくぐって200メートルぐらいの住宅地(高槻市上土室町1丁目)にあります。この遺跡は「新池遺跡」と言われ現在は「新池ハニワ工場公園」として工房や窯跡が復元整備されています。

次回は福井県内の継体天皇に関わる伝承についてご紹介しましょう。

2006年7月25日 (火)

継体天皇のお妃たちをめぐる旅(1)

今回は継体天皇のお妃たちについてご紹介しましょう。

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継体天皇のお妃は日本書紀に寄れば9人、古事記では7人の名前が挙げられています。
今回は日本書紀に基づいて、その中の最初の三人についてご紹介しましょう。(写真は福井県越前市(旧武生市)余川町味真野苑にある謡曲「はながたみ」の記念像です。)

Nisiyamatuka11_1 まず最初は、「皇后」として挙げられている「手白香皇女(たしろかのひめみこ)」です。
この方は仁賢天皇の子供(雄略天皇の孫)で、前帝の武烈天皇の姉にあたる方です。継体天皇が天皇に即位する際に皇后として迎えられました。(前天皇家からの血を引き継ぐ)
そして「欽明天皇」の母にあたります。白手香皇女の墓は奈良県天理市の山辺の道沿いにある衾田墓(ふすまだのはか)と言われる西殿塚古墳とされていました。しかし4世紀ごろの墓であることが判明したので、この近くの「西山塚古墳」(写真)が真の墓ではないかと言われています。

Danpuyama11 次は、元妃「尾張連草香女目子媛(おはりむらじくさかのひめみこ)」です
この方は、尾張地方の大豪族「尾張氏」の出身で継体天皇が即位する前のお妃と言われています。そして「安閑天皇」「宣化天皇」の母にあたります。写真は熱田神宮から名古屋中心部へ向かう国道19号線沿いにある熱田神宮公園にある尾張氏の古墳と言われている「断夫山古墳」です。

Rokurosekofun11 最後に「三尾角折君妹稚子媛(みおのつのをりきみいもうとわかこひめ)」です。
この方の産んだ子供の名前が「大郎皇子(おほいらつこのみこ)」と言い、現在で言う「太郎」にあたり、長男に付ける名前であることから継体天皇の最初のお妃であると言われています。また、一説には「角折」という地名が九頭竜川の支流足羽川との合流地点に近い日野川の右岸に残っている事からこの付近の出身ではないかと言われています。写真は福井県坂井市丸岡町上久米田の山腹、国道364号線沿いにある三尾一族の墓であると言われる「六呂瀬山古墳」です。

次回は継体天皇の陵墓についてご紹介しましょう。

2006年7月 2日 (日)

継体天皇の宮跡をめぐる旅(5)

今回は継体天皇の最後の宮跡、「磐余玉穂宮」についてご紹介しましょう。

Iwaretamaho11_1 「磐余玉穂宮」(いわれたまほのみや)は西暦526年(513年という説もある)に弟国宮から遷宮した宮跡です。
この宮は天香具山の東、約1キロにある奈良県桜井市池之内付近と推定されています。具体的には池之内地区の小高い丘の上にある稚桜神社から北西に約300mのところにある「おやしき」と地元で呼ばれている丘付近が候補地に上げられています。

一説には、この池之内地区に「磐余池」と呼ばれていた池があり、この池の周辺には用明天皇や履中天皇、清寧天皇の宮も作られたと言われています。
また、県道15号桜井明日香吉野線を挟んで反対側の阿部地区には継体天皇のお妃として「古事記」の中に書かれている阿部之波延比売(あべのはえひめ)の出身氏「安倍氏」の氏寺、「安倍寺跡」や日本三大文殊の一つ「安倍文殊院」があります。
その他、半径4キロ以内には三輪山付近の巻向遺跡や明日香村内の遺跡、橿原市の藤原京跡など数多くの遺跡や史跡があります。

交通アクセス

JR桜井線香具山駅から約1.5キロ、桜井駅2キロ
近鉄大阪線大福駅から約1.2キロ、桜井駅2キロ

バスは桜井駅から明日香村方面、安倍小学校前下車、徒歩15分

車の場合

天理インターから国道169号を桜井市・明日香村方面へ、桜井市内から県道15号桜井明日香吉野線の安倍小学校前の交差点を右折して池之内地区内細い道路を進み、農業大学校を過ぎて約300mの所に稚桜神社

国道24号から橿原市方面へ、橿原市内から国道165号で桜井市へ

下記の地図を参考にしてください。

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