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2006年9月12日 (火)

継体天皇の後継者たちへの旅(2) 橿原市

奈良県橿原市は継体天皇の皇子で後に天皇に即位した「安閑天皇」及び「宣化天皇」に関わりのある史跡が残る街です。

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橿原市はご存知の方もいらっしゃると思いますが桜井市や明日香村の西に隣接し、初代天皇「神武天皇」の陵墓をはじめとした天皇陵や「藤原京跡」がある街です。

第28代宣化天皇は第27代安閑天皇と同じ尾張氏出身の目子媛が産んだ第二皇子にあたり、日本書紀に拠れば「檜隈高田皇子(ひのくまのたかだのみこ)」と言います。兄の安閑天皇の崩御により天皇に即位しました。宮跡は「檜隈の盧入野宮(ひのくまのいおりののみや)」(明日香村檜前)です。

Senkaryou11 陵墓は宮内庁により奈良県橿原市鳥屋町にある「宣化天皇陵」です。ここは畝傍山の麓にある橿原神宮の南側で国道169号線と近鉄橿原神宮前駅付近で西に別れる県道133号を約1キロ進んだ住宅地の中にあります。
兄の安閑天皇と違い大和に陵墓が築かれた理由については不明ですが、崩御後、天皇に即位した異母兄弟で継体天皇の皇后白手香皇女の皇子である「欽明天皇」の皇后が宣化天皇の皇女であることなどから大和中央の豪族との折り合いは良かった様です。

Misemaruyama11 また、橿原市五条野町・大軽町・見瀬町にかけての近鉄岡寺駅付近の国道169号線沿いには見瀬丸山古墳と言われる墳長318メートルで奈良県最大の前方後円墳があります。この古墳には築かれた時代から「宣化天皇」または「欽明天皇」の陵墓ではないかと言う説や「蘇我稲目」の墓ではないかと言う説などがあります。
なお、古墳の最前方部の一部が削られて国道169号線になっているので、車だと見逃してしまいそうです。また、明治初め頃までは、石室に二つの石棺があるので「天武・持統天皇陵」と見なされていたので後円部の林だけが宮内庁の陵墓参考地に指定されています。

一方、「宣化天皇」の兄「安閑天皇」に関わる史跡は

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橿原市曲川町にある「安閑天皇」の宮跡「勾の金橋宮(まがりのかなはしのみや)」です。
曲川の地名は近くを流れる曽我川が曲がっているところから「マガリ」と言われるようになったと言う説があります。
さて、安閑天皇の「金橋宮」はJR金橋駅から北に真っ直ぐ曲川町を抜けた町外れにある「金橋神社」付近とされ、金橋神社の境内には「金橋宮跡」と書かれた石碑が建てられています。
なお、曽我川を挟んだ対岸の曽我町には蘇我入鹿の宮と言われる「宗我都比古神社」があります。
所在地は下記地図をご参照ください。
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また、橿原市大軽町には、継体天皇の祖「応神天皇」の宮跡「軽島之明宮(かるしまのあきらのみや)」があります。

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この宮跡は見瀬丸山古墳の北に位置する大軽町にある法輪寺(飛鳥時代創建の「軽寺」があった所)付近にあったとされ、寺の裏側にある春日神社に「軽島豊明宮跡」と書かれた石碑が建てられています。
所在地は下記の地図をご参照ください。
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2006年9月 1日 (金)

継体天皇の後継者たちへの旅(1) 羽曳野市

Ankaryou11 大阪府羽曳野市は継体天皇の皇子で後に天皇に即位した「安閑天皇」が葬られている地です。
安閑天皇は継体天皇が即位する前のお妃で尾張氏の出身である目子媛の長男として生まれました。日本書紀に拠れば、名前を「勾大兄皇子」と言うそうです。
安閑天皇は父継体天皇が晩年に大病を患ったので異例の事として生前に皇位を譲られて、天皇となりましたが父の死後数年で亡くなったそうです。また、一説では皇太子として執政にあたったが即位はせずに亡くなったという説も在ります。これは、朝鮮の書「百済本記」に天皇と皇太子が同時に亡くなったと記され、これが継体天皇の時代にあたるためだそうです。

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さて、安閑天皇の陵墓は現在宮内庁により大阪府羽曳野市古市5丁目の国道170号線沿いに指定されています。周りは近鉄南大阪線の古市駅に近く、近鉄線と国道に挟まれた住宅地の中にあります。
「なぜ、この地に陵墓が築かれたか」については不明ですが、継体天皇の皇子として天皇に即位した「安閑」「宣化」「欽明」の3人の中で一人だけ大和地域以外に陵墓が築かれました。この事は継体天皇が即位後すぐに大和入り出来なかった事と同様に大和中央の豪族との確執が在ったのかもしれません。

Ouzinryousiryou11 しかしながら、陵墓が築かれた地は安閑天皇に全くゆかりがない訳では在りません。陵墓から国道を1キロ北に行った羽曳野市役所の近くには応神天皇を祀った「誉田八幡神社」と隣接地に「応神天皇陵」があります。父継体天皇は応神天皇の五世の孫とされていますので先祖が眠る地と言うことになります。

その他、羽曳野市や隣接する藤井寺市には多くの古墳や天皇陵墓があり、エジプトの王家の谷のような王族の墓の集まった土地でもあります。

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なお、安閑天皇の宮は「勾の金橋宮(まがりのかねはしのみや)」と言います。
所在地は奈良県橿原市曲川町付近とされています。現在、曲川町にある「金橋神社」に宮跡の碑があります。

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