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2006年11月25日 (土)

継体天皇についての伝承地(3) 鯖江市

福井県鯖江市は継体天皇についての伝承地(1)(2)でご紹介した越前市の北部と隣接した街で、国産の「めがねフレーム」の90パーセントを生産している国際的めがね産地です。

Sikkikaikan11 また、この鯖江市の東部には、「河和田」と呼ばれる「越前漆器」の産地があります。
「漆(うるし)」の歴史は非常に古く、縄文時代には接着剤や防腐・防水および装飾などに使用され、福井県若狭町にある縄文時代の遺跡「鳥浜貝塚」では漆を塗ったクシが出土しています。
さて、この「河和田」地域にも継体天皇に関わる伝承が残っています。特に最初に漆工が行われたと言われる片山地区には「継体天皇が皇子の頃、味真野に逗留していた皇子に片山の民が黒漆の食器を献上して非常に喜ばれ、漆工を盛んにするようにと奨励された」という伝承や「皇子がこの地方の大河日野川の治水工事を行っていたときに岩の間に冠が落ちて壊れてしまったので、片山の漆工人に修繕を依頼して、その出来映えに非常に喜んだ」と言う伝承が残っています。
この伝承に因んで、越前漆器の産地では継体天皇即位千五百年の記念として「漆塗りの冠」と「黒塗りの食器」を制作したそうです。

Katayamahatimanzinzya11 なお、漆器の代表的製品である木地を「ろくろ」で成形する椀型の漆器の製法は9世紀中頃に第55代文徳天皇の第一皇子「惟喬親王」が都を逃れて近江の小椋に住んでいたときに考案されたと言われ「木地師の祖」として各地の漆器産地に祀られているそうです。

Sanzyanomori11 さらに、河和田地域の奥にある尾花・沢地区には、継体天皇の妃「広媛(ひろひめ)」の子「茨田媛(まんだひめ)」が住んでいたと言われる「三社森」(現在は茨田媛を祀った式内社刀那神社跡の碑が建っている)があり、、少し離れた山沿いに茨田媛の墓とされる小さな古墳墓が出土しています。
なお、式内社刀那神社は明治時代に尾花地区の手前にある寺中地区の河和田神社に合祀されています。


それぞれの所在地については下記の地図を参照ください。
1 越前漆器伝統産業会館(写真)  
2 片山地区 漆器神社(八幡神社内・写真)
3 河和田地区 漆器神社(敷山神社内)
4 茨田姫古墳墓
5 三社森(写真)
6 河和田神社(寺中町)
7 ラポーゼ河和田(農村体験施設)

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2006年11月23日 (木)

継体天皇についての伝承地(2) 越前市続編

継体天皇についての伝承地(1)でご紹介した福井県越前市東部の「味真野」地域の他にも、この地区に隣接した「粟田部(あわたべ)」地域にも継体天皇に関する伝承が伝わっています。
「粟田部」地域は合併前の旧今立町の中心地域にあたり、隣接した岡本地区(大滝・不老・岩本・新在家・定友)は「越前和紙」で知られている和紙の里です。
この「粟田部」と言う地名は継体天皇の名前「ヲオド」と関係があり「ヲオドの民」と言う意味の「ヲオド部」から「アワタベ」になったと伝えられているそうです。

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この地区の「三里山」の麓にある郷社「岡太神社」は明治以降周辺の神社を集めて、継体天皇の皇子時代の離宮跡と言われる場所に建てられ、継体天皇を始め安閑・宣化両天皇及び彦主人王などを祀っています。この神社では継体天皇が樟葉宮に入った2月11日(旧暦1月12日)に飾り付けた山車を引き回す「蓬莱祀(おらいし)」と言う祭礼が行われます。また、継体天皇が大和の磐余玉穂宮に入ったと言われる10月13日(旧暦9月13日)には「迹王の餅(どおうのもち)」と言う祝い餅を神社に奉納する例祭が行われます。

Awatabeouziike11 なお、この神社の隣接地には能「花筺(はながたみ)」の伝承に因んだ「花筺(かきょう)公園」や安閑・宣化両天皇の産湯に使われたと言われる清水が湧く「皇子ヶ池」が在ります。

そして粟田部地域に隣接した岡本地域は「越前奉書」として有名な越前和紙の産地ですが、この「越前和紙」の始まりについても、継体天皇に関わりのある伝承が伝わっています。

Ootakizinzya11 一般的には継体天皇が皇子の頃に大滝川が流れる岡本地域の民に女神と思えるような美しい女性が紙の製法を伝えたと言う「紙祖神 川上御前」(大滝神社内に祀られている岡太神社)の伝承ですが、その他にも継体天皇の妃「稚子媛(ちごひめ)」がこの地に留まり製紙を奨励したことが始まりと言う伝承も伝えられています。


関係所在地については、下記の地図を参照ください。
1 郷社岡太神社   2 花筺公園・皇子ヶ池
3 大滝神社      4 卯立の工芸館(和紙)
5 パピルス館(和紙) 6 和紙の里会館

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2006年11月16日 (木)

継体天皇についての伝承地(1) 福井県越前市

福井県越前市は福井県の中央部に位置し、旧武生市と旧今立町が合併して出来た新しい市です。
市の中央を日野川が流れ、三方を山に囲まれた街です。歴史は非常に古く、律令制が布かれると国府が置かれて越前国の中心地として栄え、「源氏物語」を書いた紫式部も赴任した父親に連れられて1年間この地で過ごしています。しかし、戦略的にも重要なところで度重なる戦乱や江戸初期の本多氏による城下町の整備などで国府の様相は不明の所が多いようです。

さて、この古い歴史を持つ「越前市」の東部に「味真野」と呼ばれている地域があります。

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「味真野」は古代の歌集「万葉集」の中で、都から味真野へ流刑にされた中臣宅守(なかとみのやかもり)と 都で宅守を思う狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)とが交わした歌「相聞歌」の舞台としても知られています。


Gousyouzi22 「味真野」は江戸時代以降、真宗出雲路派本山「毫攝寺」の門前町として栄えました。




また、継体天皇が即位する以前の伝承や継体天皇やゆかりの人たちを祀った神社が多く残っているところでもあります。

Azimanokeitai11 以前にも「継体天皇についての伝承・福井県(1)」の中でも取り上げましたが、室町時代に能楽を大成した世阿弥が創作した継体天皇を題材にした謡曲「花筐(はながたみ)」の舞台はこの「味真野」です。これを記念して近年、味真野苑には継体天皇と照日の前の像が建てられています。



Azimanozinzya11 また、味真野苑に隣接した「味真野神社」は足利将軍家の子孫「鞍谷氏」の御所跡に建てられた神社ですが、その昔は継体天皇の宮が在ったのではなかったかと言われています。




Gokouzinzya11 さらに味真野の谷間にある文室地区は継体天皇が学問所を開いたと伝えられることから地名が付けられ、この地区の五皇神社(ごおうじんじゃ)には継体天皇にゆかりのある応神天皇から5代の皇子が祀られています。
その他にも、この味真野地区には継体天皇に関わりのあると言い伝えられている地名がいくつか在ります。



蓑脇町・・・・・大昔、羽咋村と言われ、「ワケ」一族の3人の墓があったことから「三王別(みのうわけ)」と言われ、これが変じて「みのわき」となったと言われているそうです。また、この地区にある鞍谷神社は「石衝別命(いしずきわけのみこと)」が祀られています。



檜尾谷町・・・・継体天皇の第2皇子、「檜隈皇子(ひくまのおうじ)」が生まれたところと言われ、昔は「檜王谷(ひおうだに)」と言われていたそうです。



Azimanomagarinosato11_4 真柄町・・・・・・継体天皇の第1皇子「勾大兄皇子(まがりのおうえのおうじ)」が生まれたところから「勾の里」といわれ、「勾(まがり)」が変じて「まから」となったと言われているそうです。この地区の生活改善センター横には「勾の里」の碑が建っています。



Higumanosato1_1 徳間・・・・・・・・上真柄町徳間は檜尾谷町と同じく継体天皇の第2皇子「檜隈皇子(ひくまのおうじ)」の生誕地と言われ「檜隈(ひくま)」が変じて「徳間(とくま)」となったと言われているそうです。この地区の公民館の前には「檜隈の里」の碑が建っています。



Ogarasuzinzya11上真柄町にある小烏神社(おがらすじんじゃ)は応神天皇と神功皇后を祀っています。






Nonomiyahaizi1 また、7世紀後半にこの地の豪族「味真氏」によって建てられたと言われる古代寺院の跡「野々宮廃寺跡」があります。





なお、所在地については下記の地図をご参照ください。
1 味真野苑(花筐(はながたみ)の記念像)  2 味真野神社  3 勾の里  4 檜隈の里  5 小烏神社  6 五皇神社  7蓑脇町   8 檜尾谷町  9野々宮廃寺跡

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