« 継体天皇の後継者たちへの旅(2) 橿原市 | トップページ | 継体天皇についての伝承地(2) 越前市続編 »

2006年11月16日 (木)

継体天皇についての伝承地(1) 福井県越前市

福井県越前市は福井県の中央部に位置し、旧武生市と旧今立町が合併して出来た新しい市です。
市の中央を日野川が流れ、三方を山に囲まれた街です。歴史は非常に古く、律令制が布かれると国府が置かれて越前国の中心地として栄え、「源氏物語」を書いた紫式部も赴任した父親に連れられて1年間この地で過ごしています。しかし、戦略的にも重要なところで度重なる戦乱や江戸初期の本多氏による城下町の整備などで国府の様相は不明の所が多いようです。

さて、この古い歴史を持つ「越前市」の東部に「味真野」と呼ばれている地域があります。

Azimanoannaizu11












「味真野」は古代の歌集「万葉集」の中で、都から味真野へ流刑にされた中臣宅守(なかとみのやかもり)と 都で宅守を思う狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)とが交わした歌「相聞歌」の舞台としても知られています。


Gousyouzi22 「味真野」は江戸時代以降、真宗出雲路派本山「毫攝寺」の門前町として栄えました。




また、継体天皇が即位する以前の伝承や継体天皇やゆかりの人たちを祀った神社が多く残っているところでもあります。

Azimanokeitai11 以前にも「継体天皇についての伝承・福井県(1)」の中でも取り上げましたが、室町時代に能楽を大成した世阿弥が創作した継体天皇を題材にした謡曲「花筐(はながたみ)」の舞台はこの「味真野」です。これを記念して近年、味真野苑には継体天皇と照日の前の像が建てられています。



Azimanozinzya11 また、味真野苑に隣接した「味真野神社」は足利将軍家の子孫「鞍谷氏」の御所跡に建てられた神社ですが、その昔は継体天皇の宮が在ったのではなかったかと言われています。




Gokouzinzya11 さらに味真野の谷間にある文室地区は継体天皇が学問所を開いたと伝えられることから地名が付けられ、この地区の五皇神社(ごおうじんじゃ)には継体天皇にゆかりのある応神天皇から5代の皇子が祀られています。
その他にも、この味真野地区には継体天皇に関わりのあると言い伝えられている地名がいくつか在ります。



蓑脇町・・・・・大昔、羽咋村と言われ、「ワケ」一族の3人の墓があったことから「三王別(みのうわけ)」と言われ、これが変じて「みのわき」となったと言われているそうです。また、この地区にある鞍谷神社は「石衝別命(いしずきわけのみこと)」が祀られています。



檜尾谷町・・・・継体天皇の第2皇子、「檜隈皇子(ひくまのおうじ)」が生まれたところと言われ、昔は「檜王谷(ひおうだに)」と言われていたそうです。



Azimanomagarinosato11_4 真柄町・・・・・・継体天皇の第1皇子「勾大兄皇子(まがりのおうえのおうじ)」が生まれたところから「勾の里」といわれ、「勾(まがり)」が変じて「まから」となったと言われているそうです。この地区の生活改善センター横には「勾の里」の碑が建っています。



Higumanosato1_1 徳間・・・・・・・・上真柄町徳間は檜尾谷町と同じく継体天皇の第2皇子「檜隈皇子(ひくまのおうじ)」の生誕地と言われ「檜隈(ひくま)」が変じて「徳間(とくま)」となったと言われているそうです。この地区の公民館の前には「檜隈の里」の碑が建っています。



Ogarasuzinzya11上真柄町にある小烏神社(おがらすじんじゃ)は応神天皇と神功皇后を祀っています。






Nonomiyahaizi1 また、7世紀後半にこの地の豪族「味真氏」によって建てられたと言われる古代寺院の跡「野々宮廃寺跡」があります。





なお、所在地については下記の地図をご参照ください。
1 味真野苑(花筐(はながたみ)の記念像)  2 味真野神社  3 勾の里  4 檜隈の里  5 小烏神社  6 五皇神社  7蓑脇町   8 檜尾谷町  9野々宮廃寺跡

Azimanotiku55

« 継体天皇の後継者たちへの旅(2) 橿原市 | トップページ | 継体天皇についての伝承地(2) 越前市続編 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 継体天皇についての伝承地(1) 福井県越前市:

« 継体天皇の後継者たちへの旅(2) 橿原市 | トップページ | 継体天皇についての伝承地(2) 越前市続編 »