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2006年12月16日 (土)

継体天皇の系譜をめぐる旅(2) 岐阜県美濃地方

継体天皇の系譜をめぐる旅(1)では継体天皇の父「ウシノミコ」の父方の家系についてご紹介しましたが、今回は母方の家系についてご紹介しましょう。

鎌倉時代に「卜部兼方」によって書かれた「釈日本紀」に掲載されている「上宮記逸文」にある継体天皇の家系図によると、継体天皇の父「ウシノミコ」の母(継体天皇の祖母)は「クルヒメ」と言い「牟義都国造伊自牟良君(むぎつくにのみやつこ いじむらきみ)」の出身と書かれています。

ここに出てくる「牟義都国(むぎつくに)」は福井県と県境を接する岐阜県美濃地方を流れる長良川と揖斐川に挟まれた関市及び武儀郡・山県郡・本巣郡周辺の広い地域だったそうです。

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一方「伊自牟良君」については、山県郡を流れる「伊自良川」やその上流に現在は合併して山県市となった「伊自良村」があったことからこれらの周辺に勢力を持った豪族ではないかと言われています。

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しかし、「伊自良」の地名を持つ「旧伊自良村」には、大きな古墳は発見されておらず、6世紀後半から7世紀のものと言われる横穴式円墳がある「大門古墳群」(伊自良中学校裏手にある)が公園として整備されています。
なお、矢洞地区にある「縣(あがた)神社」は「伊自牟良君」を祀っていたそうです。
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「伊自良氏」に関連した事として、福井市美山地域(旧美山町味見)には中世の豪族「伊自良氏」の館跡があります。
この「伊自良氏」は元は関東の御家人八田知家の次男有知が承久の乱で手柄を挙げて恩賞として伊自良の地を賜り、その後越前に移り住んだ一族と言われています。(源義朝の十男との説もある)
また、南北朝時代には南朝方の武将として活躍した伊自良次郎左衛門の活躍が「太平記 巻19」に出てきます。

岐阜県美濃地方における古墳の分布は主に平野部と山間部が接する里山に集中して造成されていて、岐阜県最大の前方後円墳は大垣市赤坂地域(岐阜県大垣市昼飯町)にある「昼飯大塚古墳」(全長180m)と言われています。

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また、5世紀から6世紀初めには揖斐川と根尾川に挟まれた揖斐郡大野町に200基もの古墳が集中して造営され、その中でも「野古墳群」は500m四方に9基の前方後円墳と円墳が集中する所で昔の風景を残す貴重な地域です。

なお、関市にある陽徳寺裏山1号墳(関市武芸川町宇多院)は6世紀初め頃に造営された古墳です。ここから出土した角杯形土器は福井県の窯で焼かれた物ではないかと言われています。

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