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2006年12月31日 (日)

継体天皇にゆかりのある主な神社

2007年は、継体天皇が「楠葉宮」で即位して1500年を迎える記念の年です。
初詣には継体天皇にゆかりのある神社を参拝してはいかがでしょうか。
では、ここで代表的な神社をご紹介しましょう。

Kuzuha11_1 Kuzuha21_2




交野天神社
社内貴船神社
大阪府枚方市楠葉丘2丁目

西暦507年継体天皇が即位した「楠葉宮」跡とされています。


Takasimatanakazinzya22 田中神社
滋賀県高島市安曇川町田中1881

日本書紀に拠れば、近江国高島郡三尾にて継体天皇は生まれました。
現在は田中神社にこの地の祖が祀られています。また、神社の山上には継体天皇の父「彦主人王」の墓とされる古墳があります。

Takasimamiomie11_1三重生神社
滋賀県高島市安曇川常盤木1239

田中神社から約1キロ北には「彦主人王」を祀る「三重生(みお)神社」があります。
境内社には越前と関係のある「足羽神社」「気比神社」があります

Takasimamiomizuo11_1 水尾神社
滋賀県高島市拝戸

水尾神社には継体天皇の母「振姫」が祀られています。


Okinagasizinzya1_1 山津照神社
滋賀県米原市能登瀬390

一説には継体天皇の父「彦主人王」は息長氏の出身とされています。
山津照神社は息長氏の祖を祀る神社と言われ、境内には息長氏の一族の墓と言われる古墳があります。


福井県内にある神社

Takamukuzinnzya1_2 高向神社
福井県坂井市丸岡町高田

日本書紀に拠れば、継体天皇の母「振姫」は故郷「高向」で幼い継体天皇を育てたと書かれています。
現在は高向神社に継体天皇と振姫が祀られ、傍らに振姫を祀る小さな祠と「高向の宮跡」と書かれた石碑が在ります。

Kunikamizinzya11_2 国神神社
福井県坂井市丸岡町石城戸

重要文化財「丸岡城」の近くにある「国神神社」は丸岡城築城に際して丘の上から現在地に移されたと言われ、継体天皇と倭媛との間に生まれた皇子「椀子皇子」及び「振姫」を祀る神社です。

Yokoyamazinnzya1_1 横山神社
福井県坂井市丸岡町堀江

横山神社は継体天皇を祀る古社で、周辺には継体天皇の子孫「三国真人」の祖および一族の墓ではないかと言われる横山古墳群があります。また、東方約1キロには即位の使者と会見したとされる「天皇堂」跡があります。

Asuwazinzya11_2 足羽神社
福井市足羽上町108

足羽山山腹にある「足羽神社」は継体天皇と広媛との間に生まれた「馬来田皇女」を祖とする「馬来田氏」が代々宮司を務める神社です。(現在、新宮建設中です)
また、ここより約200mの山上にある円墳の上には明治時代に建てられた「継体天皇」の像があります。

Mikunizinzya11_2 三国神社
福井県坂井市三国町山王6丁目

三国神社は継体天皇が造った九頭竜川河口「銚子口」近くの小高い丘の上にある神社で、継体天皇の偉業を讃えて造られた「水門神社」を明治時代に合祀しました。

Osima11_4 大湊神社
福井県坂井市三国町安島

雄島にある大湊神社は継体天皇の母「振姫」の祖「垂仁天皇」の子「磐衝別命」を祀る神社と言われています。

Azimanozinzya11_1 味真野神社
福井県越前市池泉町

「味真野」は世阿弥が創作した継体天皇にゆかりの謡曲「花筺」の舞台です。味真野神社のある地は即位前の継体天皇の宮跡とも言われています。

Okafutozinzya11_1 岡太神社
福井県越前市粟田部町

粟田部は「オホド」(継体天皇の名前)の民と言う意味の「オホドベ」から変じたと言われています。この地にも宮跡があったと言われる地に「岡太神社」が建てられています。
また、ここから南東に約2キロのところには紙の神様「川上御前」を祀った「大滝神社」があります。

Kehizingu111_1 気比神宮
福井県敦賀市曙町

気比神宮は越前国一の宮です。
日本書紀に拠れば、継体天皇の祖「応神天皇」が皇太子の時に気比の大神にお参り来られ、この時に大神と名前を交換されたと言う逸話が書かれています。

詳細については「カテゴリー」からそれぞれの福井県または近畿地区などをクリックして関連の記述をご参照ください。

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2006年12月27日 (水)

継体天皇 高向から樟葉宮への旅(1)

2007年は継体天皇が樟葉宮で即位して1500年を迎えます。
古代歴史書「日本書紀」に拠ると、
506年
12月8日 武烈天皇崩御
12月21日第1回後継者人選会議

第一候補の丹波国 仲哀天皇の五世孫である「倭彦王(やまとひこのおおきみ)」を後継者として迎えに行くが、逃げられる。

507年
1月4日 第2回後継者人選会議
1月6日 越へ「男大迹王(おおどおう)」(継体天皇)を迎えに行く。

2日3晩留まって即位を嘆願する。

1月12日 樟葉宮へ到着

2月4日 即位式

以上のような過程が書かれています。
(年月日は古代中国の「元嘉暦」という旧暦に基づいているらしい。)

では、継体天皇は越国高向からどのようなコースを通って樟葉宮へ向かったのでしょうか。

越国高向は現在の福井県坂井市丸岡町高田付近と言われています。また、樟葉宮は大阪府枚方市くずは丘2丁目にある「交野天神社」内にある「貴船神社」付近とされています。

古代の道については資料が少ないので確定は出来ませんが、「延喜式」に拠れば
越前国 三尾・足羽・阿味・朝津・丹生・淑羅・鹿蒜・松原
若狭国 (玉置)・濃飯・(葦田)・弥美
近江国 鞆結・三尾・和爾・穴太
山城国 山科・山崎
河内国 楠葉
以上の地名がコース上に挙げられます。
このコースは古代「北陸道」から「東山道」或いは「東海道」を経て「山陽道」或いは「南海道」を通って楠葉宮に至る道です。

現代風に言えば
丸岡インターから北陸高速道路に入り今庄インターで降りて国道365号及び県道207号で南今庄を経て中山峠を越え杉津で国道8号に入って敦賀に向かいます。
敦賀市内を抜けて敦賀市疋田で国道8号から国道161号に入り琵琶湖西岸を大津に向かいます。
あるいは、敦賀から国道27号で若狭町へ向かい国道303号で滋賀県高島市に至って国道161号に入ります。

大津からは三井寺付近で小関峠を越えて京都市山科に入ります。
山科から京都東インターから名神高速に乗り、大山崎インターで降りて国道478号で桂川・宇治川・木津川を渡り京都府八幡市にある石清水八幡宮近くの京阪本線橋本駅付近から男山の坂道を上がり交野天神社を目指します。
または山科から宇治方面に向かい、当時在った「巨椋池」の北側を迂回するように城陽市付近で木津川を渡り、京田辺市に入り八幡市から楠葉に至るルートも考えられます。
全行程約200キロの道です。

Keitaikeirozu44























行程の詳細については、これから検証していきたいと思います。

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2006年12月26日 (火)

継体天皇と橘曙覧

橘曙覧(たちばなあけみ)は江戸末期の歌人で正岡子規が絶賛した事で知られています。また、クリントン米国大統領が天皇陛下訪米の時の挨拶で「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」という橘曙覧の歌を引用して国内で再評価されるようになりました。
また、橘曙覧は歌人としてだけではなく「国学」も勉強していました。彼の師は飛騨高山に住む「田中大秀」と言う人で、この人は本居宣長の弟子です。
さて、橘曙覧と継体天皇の関係ですが、石橋重吉の著書「継体天皇と越前」によれば、彼の師「田中大秀」は継体天皇の御世系が知られていない事を遺憾に思い、「釈日本記」の中に引用されている「上宮記逸文」をもとに継体天皇の系譜を明らかにした「玉穂宮考」を書きました。
そして、弟子である橘曙覧に対して「国に帰って継体天皇に関係の深い「足羽神社」の馬来田宮司と相談して碑を建て、越前の人たちに知らしめるように」と言われました。
そして橘曙覧は師の志を受けて、馬来田(まくだ)宮司や同門の門人らと相談して足羽神社境内に継体天皇の御世系文が書かれた石碑を建立したと書かれています。
この石碑は現在も境内に立っています。しかし、文字が小さいので内容は解読しずらいかもしれません。

Asuwayamahibun11










Asuwazinzya11_1 なお、足羽神社の宮司「馬来田氏」は継体天皇のお妃「坂田氏の娘 広媛」の末娘「馬来田(うまくた)皇女」を祖先としていると言われています。

また、橘曙覧については、足羽山の愛宕坂(石段になっている)登り口近くに「橘曙覧記念文学館」があります。

Asuwayamakeitaizou11_2 その他、足羽山上の「福井市自然史博物館」横の円墳の上には「継体天皇像」があります。




足羽山はJR福井駅から約1.5キロの足羽川左岸にあります。登り口は幾つか在りますが、徒歩の場合は足羽川に架かる「桜橋」から左内交差点を渡り、石段が続く「愛宕坂」を経て「足羽神社」へ向かうコースや左内交差点から300mぐらい南へ行った相生交差点から「あじさい」が植えられたつづら坂を登るコースなどがあります。
(桜の開花時期には足羽川堤防の桜並木の道が大変に綺麗です。)

所在地については下記の地図をご参照ください。

1 足羽神社  
2 橘曙覧記念文学館
3 継体天皇像
Asuwayamatizu22

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2006年12月22日 (金)

継体天皇の系譜をめぐる旅(5) 羽咋市

石川県羽咋市は能登半島の西側、金沢市と輪島市との中間に在り、羽咋市から東に七尾市まで延びる地溝帯「邑智(おうち)平野」沿いにはたくさんの古墳群が点在しています。
羽咋市は継体天皇の母「振姫」の祖先と言われる「垂仁天皇」の子「磐衝別命(いわつきわけのみこと)」によって平定されたと言われ、街の中心部に「磐衝別命」とその子「磐城別(いわきわけ)」の墓と伝えられる古墳とこれに隣接して二人を祀る「羽咋神社」があります。
日本書紀に拠れば、「磐衝別命」は「三尾氏」の祖と書かれています。また、「磐城別」の妹「水歯郎媛(みずはのいらつめ)」は景行天皇のお妃となり皇女を産んだと書かれています。

Hakuizinzya1Hakuinanatuka1



「羽咋神社」周辺には「磐衝別命」の親族の墓や伝承に基づく「塚」が点在して「羽咋七塚」と言われています。

では、「羽咋七塚」をご紹介しましょう。


Hakuituka1 Hakuituka2




1大塚 「磐衝別命」の墓

Hakuituka22 2大谷塚 「磐城別命」の墓





Hakuituka3 3水犬塚 「3匹の犬と怪鳥の墓」
この地域荒らし回っていた怪鳥を「磐衝別命」が退治して射落とした怪鳥の羽を犬がくわえて来たところ。
これに因み「はくい」の名が付けられた。

4宝塚  
「磐衝別命」が亡くなった時に宝物を埋めた



Hakuituka5 5媛塚  
「磐衝別命」のお妃の墓




Hakuituka6 6剣塚  
「磐衝別命の剣を埋めた所」




Hakuituka7 7痛子塚 「王女の墓」
母の病気を嘆いて亡くなった王女の墓




以上が「羽咋七塚」と言われているものです。

Hakutiketataisya1 なお、羽咋市にある「気多大社」は駅から北へ約3キロにある寺家地区にあります。



「羽咋七塚」の所在地は「痛子塚」だけが駅の東側(駅裏約300m付近)にありますがその他は「JR羽咋駅」から西へ約300mにある「羽咋神社」周辺にあります。

1 大塚     2 大谷塚
3 水犬塚   4 宝塚
5 姫塚     6 剣塚
7 痛子塚
Hakuisitizu44

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継体天皇についての伝承地(6)坂井市

福井県坂井市は継体天皇が母「振姫」と共に少青年期を過ごした地で、日本書紀に書かれている「坂中井」の地名から来ている「坂井(さかい)」を市名としています。この地には継体天皇に関わる多くの伝承が残って言います。
この伝承については「継体天皇の故郷を訪ねる旅(1)坂井市丸岡町」や「継体天皇についての伝承地(4)坂井市三国町」などでご紹介しましたが、坂井市の春江町及び坂井町地域にも伝承が残っています。

Himeou1 九頭竜川を挟んで福井市と接している坂井市春江町姫王地区は継体天皇の母「振姫」が晩年を過ごした「姫屋敷跡」が在ったと伝えられています。地区名の「姫王」もここから名付けられたと言われています。
現在は地区の西外れの道沿いに「振姫終焉の地」の石碑などが建てられています。また、地区内の「春日神社」は以前には「姫王神社」と言われ、「振姫」を祀っていました。

Isizuka1 また、姫王地区から約1キロ南にある石塚地区にある「石塚神社」の境内には「磐座(いわくら)」と言われる石が祀られています。
この石には継体天皇が近くを流れる九頭竜川の治水工事に在って、この石の上に立って工事の指揮を取ったと伝えられています。

その他、坂井市春江町西長田地区にある継体天皇を祀る「長田神社」は継体天皇と琵琶姫との間に生まれた千鶴姫の産湯を汲んだと言われる「長田池」が在ります。
なお、千鶴姫は幼くして亡くなり、下兵庫地区にある「大森塚」に葬られたと言われています。

また、春江町松木地区にも地区名の由来に関わる「継体天皇と三国の銚子口開口」の伝承が伝わっているそうです。

また、坂井市坂井町大味(おおみ)は「王見」と言われ、地区内にある「王屋敷」と呼ばれる所に宮があったと言われています。
現在は稲荷大明神を祀る小さな社が建っているそうです。

所在地については下記の地図をご参照ください。

1 姫王石碑(姫王)2 石塚神社(石塚)
3 長田神社(西長田)
4 王屋敷(大味)
Haruesakaitizu33

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2006年12月19日 (火)

継体天皇の後継者たちへの旅(5) 桜井市

奈良県桜井市は「継体天皇の系譜をめぐる旅(4)」でご紹介したように歴代天皇の宮跡や陵墓・古墳などの史跡が多く点在している街です。
この街にも継体天皇の子孫たちに関わる史跡があります。

Kanasasinomiya1 桜井市外山(とび)地区には継体天皇の皇子「欽明天皇」の宮「磯城嶋金刺宮(しきしまのかなさしのみや)」が在ったとされています。
以前は桜井市水道局脇に石碑が在りましたが、現在は「初瀬川」左岸の「式島橋」手前にある「磯城嶋公園」内に石碑が建てられています。


Bukkyourenraiti1 ここから約1キロ下流の歩行者専用橋「馬井手橋」がある初瀬川右岸の「金屋河川敷公園」には「仏教伝来地」の石碑が建っています。
仏教の一部は紙の伝来や渡来人によって伝わったと思われますが、公式的には欽明天皇の時代に百済の王から「仏教」が伝えられました。なお、継体天皇の時代にはすでに私的に伝わっていたと見られています。

所在地については下記の地図をご参照ください。

1 磯城嶋公園  2 金屋河川敷公園
3 崇神天皇宮跡 4谷地区若桜神社
5 阿部文殊院
Sakuraisitizu11_1















その他、桜井市には「欽明天皇」の子にあたる「敏達・用明・崇峻・推古」の各天皇の宮も在ったと言われています。
ここで各宮の所在地をご紹介します。

Kaizyuukasugazinzya1 第30代敏達天皇 
幸王宮(さきたまのみや)
桜井市戒重 春日神社付近


第31代用明天皇 
双槻宮(なみつきのみや)
双槻宮の所在地については谷地区と吉備地区の説があります。
これは古代に在った「磐余池」の所在がはっきりしていないためです。
Yamagutizinzya1桜井市谷 
石寸山口神社付近




Kibikasugazinzya1桜井市吉備 
春日神社(吉備池隣)




Susyuntennouryou1 第32代崇峻天皇 
倉梯宮(くらはしのみや) 
桜井市倉橋
倉橋にある崇峻天皇の陵墓とされる「崇峻天皇陵」近くに在ったとされています。

Osisakatennouzankofun1 なお、倉橋に隣接した忍坂地区にある「天王山古墳」が本当の「崇峻天皇陵墓」ではないかとも言われています。




Misoyahasirazinzya1 第33代推古天皇(女帝) 
小墾田豊浦宮
桜井市大福 三十八柱神社付近
推古天皇の宮は2つ造られて「豊浦(とゆら)宮」の隣に「小墾田(おわりだ)宮」を造ったとも言われ、「明日香村豊浦 広厳寺(豊浦寺跡)付近が定説となっていますが、一説には「小墾田宮」は「桜井市大福 三十八柱神社付近」に造られたという説もあります。

また、欽明天皇の孫にあたる「聖徳太子」が少青年期を暮らしていた宮も在ったと言われています。


Uemiyaiseki1 Uemiyaiseki2




聖徳太子 上宮(うえのみや)
桜井市上之宮 上之宮庭園遺跡
「上宮」の名は父「用明天皇」の宮の上に在ったことから名付けられたと言われています。
桜井商業高校の東側にある「上之宮庭園遺跡」は「聖徳太子の館説」の他にも付近の豪族「阿部氏の館説」「谷氏の館」などの説もあります。

所在地については下記の地図をご参照ください。
6 春日神社(戒重) 7 山口神社(谷)
8 春日神社(吉備)
9 金福寺・崇神天皇陵(倉橋)
10 天王山古墳(忍坂) 
11 三十八柱神社(大福)
12 上之宮庭園遺跡(上之宮)
Sakuraisinaitizu77_2

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継体天皇の系譜をめぐる旅(4) 桜井市

奈良県桜井市は「三輪山」の麓及び大阪湾に流れ込む大和川の上流域「初瀬川」・「寺川」の扇状地にあり、古代大和朝廷の中心地でした。そのため歴代天皇の宮跡や陵墓・古墳などの史跡が多く点在している街です。
この街にも継体天皇や継体天皇に関わる人たちの史跡があります。

Iwaretamaho11_2 継体天皇の宮跡をめぐる旅(5)でご紹介した継体天皇の最後の宮「磐余玉穂宮」は、ここ桜井市の池之内地区にある「稚桜神社」の近くの「おやしき」と呼ばれる所に在ったと言われています。

Wakazakura22 また、この「稚桜神社」は継体天皇の祖「応神天皇」の母「神功皇后」の宮「若桜宮」及び履中天皇の宮「若桜宮」が在ったと言われています


Wakazakurazinnzya1 しかし、池之内の北東にある谷地区付近にも「石寸(いわれ)山口神社」など「磐余(いわれ)」の付く名前が残っている事からこの付近に在ったのではないかと言う説もあり、この谷地区にある「若桜神社」が「若桜宮」の跡だとも言われています。

Sikiniimasumiagatazinzya1 Suzinmitukakinomuya1



また、三輪山の南西麓、初瀬川右岸の金屋地区の山沿いには古代の道「山辺の道」が通っていますが、この付近には第10代「垂仁天皇」の父「崇神天皇」の宮「瑞籬宮(みつかきのみや)」がありました。現在は「金屋の石仏」近くの「志貴坐御県神社」(天理教会の裏側)に宮跡の石碑が建てられています。

所在地は下記の地図をご参照ください。

3 志貴坐御県神社(金屋)
4 若桜神社(谷)
7 石寸山口神社(谷)
13 稚桜神社(池之内)
14 おやしき(池之内)
Sakuraisinaitizu77_1












Suinintamakinomiya1 なお、「垂仁天皇」の宮「珠城宮(たまきのみや)」は「山辺の道」を北上して天理市との市境付近の桜井市穴師地区付近に在ったと言われています。現在は国道169号線から少し入った「新池」(桜井市巻野内)近くの道沿いに宮跡の石碑が建っています。

Hasihaka1 この一帯は「巻向(まきむく)」と呼ばれ、弥生時代末期から古墳時代前期(3世紀から4世紀)に架けての「箸墓古墳」(写真)などの古墳の他に建物跡や祭事土器などが発見されています。一説には「初期大和政権の都」或いは「邪馬台国の都」などの説があります。
Suzintennouryou1 また、穴師地区の北、「山辺の道」及び「国道169号線」沿いには「垂仁天皇」の父「崇神天皇」(写真・天理市柳本町)の陵墓や子の「景行天皇」(天理市渋谷町)の陵墓があります。

所在地は下記地図をご参照ください。

1 珠城宮跡石碑 2 相撲神社
3 大兵主神社  4 崇神天皇陵
5 景行天皇陵
Makimukutizu22_1













その他にも桜井市には継体天皇の子孫たちの史跡が点在しています。これについては「継体天皇の後継者たちへの旅(5)桜井市」をご参照ください。

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2006年12月16日 (土)

継体天皇についての伝承・福井県(1)

福井県内には、継体天皇に関する伝承が数多く残っています。

日本書紀に拠れば、継体天皇は近江国高島郡三尾で生まれましたが、幼くして父親を亡くして母親の里である越国坂井郡高向で暮らしていました。名前は「ヲホド」と呼ばれていました。

また母の名前は「振姫」といい、隣の江沼郡を本拠地とする豪族「江沼氏」との間に生まれた娘です。

5世紀頃の坂井郡は大部分が九頭竜川の氾濫域で多くの川や沼や湿地帯があり、九頭竜川河口付近は大きな湖になっていたようです。
この九頭竜川の河口を開き、氾濫を抑える堰を作り、稲作に適した水田に変えていったのが「ヲホド」だと伝承されています。

Asuwayamakeitaizou11_1 また、足羽山(福井市)にある継体天皇が弓を持って立っている像は、夏のある日、堰を造るために働いていた人たちが飲み水が無くて困っていたところに「ヲホド」が出会し、自分の弓で岩を叩いて水を湧き出させたという伝承をもとに創られたと言われています。

Fukuisitizu44









なぜ「ヲホド」がこのような治水事業を行えたかと言えば、それには朝鮮半島からの渡来人の活躍があったようです。
越国は日本海に面し、九州や出雲などと同様に古くから朝鮮半島との交流があり、多くの渡来人がやって来て定住していたと想像されます。
そして一説には、これらの伝承が三尾氏の祖先である「磐衝別(イハツクワケ)」の伝承で、「磐衝別」を祀る羽咋神社がある能登や加賀地方にも類似した伝承があるそうです 。

Asuwazinzya11 因みに、足羽山(福井市)にある「足羽神社」(継体天皇を祀る)の宮司である「馬来田(まくだ)家」は継体天皇の皇女「馬来田皇女」を祖先とすると伝わっているそうです。

Osima11 それから、東尋坊(坂井市三国)の近くにある「雄島」には「大湊神社」があり、「磐衝別」を祀っています。昔は「御雄島(みおしま)」と呼ばれ三尾氏に関係が深い島です。

Keitaizou22 そして、坂井郡から約30キロ南にある越前の国府が置かれた「武生」の東部にある味真野地域にも継体天皇に関する伝承が残っています。
なぜ、この地に伝承や継体天皇ゆかりの人たちを祀った神社があるのかについては諸説があります。
一説に寄れば、世阿弥の作った謡曲「花筐(はながたみ)」が有名になったので、後になって作られたと言う説もありますが、元になった伝承があった(「炭焼き小五郎」などの話に類似した物)とも言われています。

また、近くには「粟田部(あわたべ)」という地名があり、これは継体天皇の名前「ヲホド」を表し、「ヲホド部」が変化した地名であるという説があります。

その他にも味真野地域につながる「日野山」及び「日野神社」には継体天皇とその子の安閑・宣化天皇が祀られているほか、この地域にはゆかりの地と伝承されている所や神社が多く存在します。

なお、謡曲「花筐(はながたみ)」のあらすじをご紹介しましょう。

主人公の照日の前(てるひのまえ)が大迹部(おおあとべ)の皇子(後の継体天皇)と味真野で幸せに暮らしていました。
ある日、照日の前が遠くへ出かけていたときに都から天皇が亡くなられたので次の天皇に即位してほしいと言う使者がやって来ました。
皇子は急いで都に上らなくてはならなくなり、照日の前に会わずに手紙と竹で作った花籠を残して都に旅立ちました。
残された照日の前は、毎日のように皇子を想うあまりに何時しか物狂いして手紙と花籠を持って故郷を離れます。
皇子は即位して天皇となり玉穂宮に暮らしていました。
ある秋の日、紅葉狩りに出かけた天皇の前に狂ったように舞う女が現れます。
その女は天皇に花籠を差し出します。天皇はその花籠が照日の前に贈った物と判ります。
照日の前は天皇に再会して正気に戻り、二人は幸せに暮らします。

継体天皇の系譜をめぐる旅(2) 岐阜県美濃地方

継体天皇の系譜をめぐる旅(1)では継体天皇の父「ウシノミコ」の父方の家系についてご紹介しましたが、今回は母方の家系についてご紹介しましょう。

鎌倉時代に「卜部兼方」によって書かれた「釈日本紀」に掲載されている「上宮記逸文」にある継体天皇の家系図によると、継体天皇の父「ウシノミコ」の母(継体天皇の祖母)は「クルヒメ」と言い「牟義都国造伊自牟良君(むぎつくにのみやつこ いじむらきみ)」の出身と書かれています。

ここに出てくる「牟義都国(むぎつくに)」は福井県と県境を接する岐阜県美濃地方を流れる長良川と揖斐川に挟まれた関市及び武儀郡・山県郡・本巣郡周辺の広い地域だったそうです。

Iziramura11_3 Iziramuraezu1_3



一方「伊自牟良君」については、山県郡を流れる「伊自良川」やその上流に現在は合併して山県市となった「伊自良村」があったことからこれらの周辺に勢力を持った豪族ではないかと言われています。

Daimonkofunzu1_1 Daimonkofun11_1



しかし、「伊自良」の地名を持つ「旧伊自良村」には、大きな古墳は発見されておらず、6世紀後半から7世紀のものと言われる横穴式円墳がある「大門古墳群」(伊自良中学校裏手にある)が公園として整備されています。
なお、矢洞地区にある「縣(あがた)神社」は「伊自牟良君」を祀っていたそうです。
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「伊自良氏」に関連した事として、福井市美山地域(旧美山町味見)には中世の豪族「伊自良氏」の館跡があります。
この「伊自良氏」は元は関東の御家人八田知家の次男有知が承久の乱で手柄を挙げて恩賞として伊自良の地を賜り、その後越前に移り住んだ一族と言われています。(源義朝の十男との説もある)
また、南北朝時代には南朝方の武将として活躍した伊自良次郎左衛門の活躍が「太平記 巻19」に出てきます。

岐阜県美濃地方における古墳の分布は主に平野部と山間部が接する里山に集中して造成されていて、岐阜県最大の前方後円墳は大垣市赤坂地域(岐阜県大垣市昼飯町)にある「昼飯大塚古墳」(全長180m)と言われています。

Nokofunzu11 Nokofun1 Nokofun2



また、5世紀から6世紀初めには揖斐川と根尾川に挟まれた揖斐郡大野町に200基もの古墳が集中して造営され、その中でも「野古墳群」は500m四方に9基の前方後円墳と円墳が集中する所で昔の風景を残す貴重な地域です。

なお、関市にある陽徳寺裏山1号墳(関市武芸川町宇多院)は6世紀初め頃に造営された古墳です。ここから出土した角杯形土器は福井県の窯で焼かれた物ではないかと言われています。

継体天皇についての伝承地(4) 坂井市三国町

Touzinbou11 福井県坂井市三国町(合併前の福井県三国町)は「三国湊」として古代より知られ、「越前かに」が水揚げされる三国漁港や切り立つ岩場で知られる「東尋坊」などで知られる港町です。

また、岐阜県境から福井県を縦断して大野市・勝山市・永平寺町・坂井市を通り日本海に流れ込む大河「九頭竜川」の河口に位置し、古代には大きな湖の口にあったことから「水の国」の意味で「水国(ミズクニ)」が変じて「三国」になったのではないかと言われています。

さて、この三国町で11月19日に「継体天皇と三国水門開闢(みくにみなとかいびゃく)」と題して富永亮一郎先生による講演会が開催されました。この講演会とその資料を参考にして、三国町に残る継体天皇に関する伝承地をご紹介しましょう。

これらの伝承は継体天皇がまだ皇子として「坂中井」に住んでいた時に古代にこの地方に在った大きな湖に水路(現在の九頭竜川の「銚子口」と言われる河口)を造り、日本海に水を放出して広大な農地を開く治水工事を行った伝承に関するものです。

Mikunizinzya11 山王地区
竹田川に架かる栄橋付近から集落に入ると正面に三国神社の鳥居が見えます。ここが継体天皇を祀る「三国神社」です。
昔は九頭竜川右岸の河口の近くにあった「水門(みなと)宮」に継体天皇が祀られていましたが、明治に入り三国神社境内の桜谷宮に合祀されて現在に至っています。
なお、「水門宮」に伝わっていた船の形をした「舟御輿」は北陸三大祭りの一つと言われる三国神社の例祭 「三国祭」の時に担ぎ出されます。
また、この地区には「御所垣内」と言う地名があり、ここに継体天皇の母「振姫」が御所を建てて住んだと伝えられています。

神明地区
この地区にある「神明神社」一帯は昔「枚岡山(ひらおかやま)」と呼ばれる小高い丘になっていたところで「清王町」や「清王畑」・「御井戸町」などの地名が残り、ここにも離宮が在ったと伝えられています。

Osima11_2 安島(あんとう)地区
この地区に陸上部と朱塗りの橋で繋がった「雄島(おしま)」と呼ばれる小さな島があり、この島には継体天皇の母「振姫」の出身氏である三尾氏の祖と言われる「磐衝別命(イワツキワケノミコト)」を祀っていた「大湊神社」があります。

梶地区
松島水族館の近くにある梶地区の「貴船神社」の境内には、継体天皇が休憩したときに座った伝えられる「腰掛石」が在ります。

Ikegamiikizinzya1 Ikegamihyoutyu1 池上地区
治水工事を行うための離宮があったとされる「池上地区」には、集落の中心部に日本武尊や継体・安閑両天皇を祀る式内社「伊伎加美(いけがみ)神社」があります。また、集落の北西部の丘陵部付近には継体天皇が暮らした跡として「大(王)屋敷山」や「王馬家畑(おばけばた)」・「堂池谷田」少し離れた所に「皇子池(みこがいけ)」などの地名が残り、現在はこれらの地には地名を期した標柱が建てられています。

Takeminatowakezinzya1 蒿(たけ)地区
この地区の「湊別神社」は、継体天皇が銚子口を開く治水工事の成功を祈願して神を祀ったと伝えられています。

Sinpokasugazinzya1 新保地区
九頭竜川に架かる「新保橋」を渡った九頭竜川左岸近くにある「春日神社」は継体天皇を祀る「片岸神社」を合祀して現在に至っています。

Yamagisikatagisizinzya1 山岸地区
新保地区の南にある山岸地区には「片岸神社」があります。この神社は昔、九頭竜川対岸の右岸川崎地区にある「鵜糞神社」を兄神とし、弟神として信仰を集めていました。祭神は継体天皇でしたが織田信長の越前進行により消失し、後に神明神社として再建されました。



所在地については下記の地図をご参照ください。

1 山王 (三国神社)  2 神明 (神明神社)
3 安島 (大湊神社)  4 梶 (貴船神社)
5 池上 (伊伎神社)  6 蒿 (湊別神社)
7 新保 (春日神社)  8 山岸 (片岸神社)
9 川崎 (鵜糞神社)  10 山王 (御所垣内)

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継体天皇の後継者たちへの旅(4) 坂井市・あわら市

福井県坂井市及びあわら市は坂井郡にあった6町がそれぞれ合併して出来た新しい市です。
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Touzinbou11_2 Maruokazyou11_1


このうち坂井市は日本海に面した断崖絶壁の「東尋坊」や「越前かに」が水揚げされる漁港などで有名な三国町と重要文化財に指定されている「丸岡城」や「日本一短い手紙」で有名な丸岡町及び春江町・坂井町が合併して出来た新しい市です。

Awaraonsen22004 一方あわら市は「いで湯の街・芦原温泉」がある芦原町と金津町が合併して出来た新しい市です。

Kuzuryuukakou11 この両市がある坂井平野は石川県と境を接する福井県北部の穀倉地帯で即位前の継体天皇によって九頭竜川の水口が開かれ干拓されたと言い伝えられています。
そして継体天皇の母、振姫の故郷(高向)であり、継体天皇が幼年時代から即位前まで暮らした故郷であり、継体天皇の皇子「椀子皇子」の子孫たちが暮らし続ける街でもあります。

Kunikamizinzya11_1 坂井市丸岡町(旧丸岡町)の丸岡城近くには継体天皇のお妃で三尾君の出身で倭媛(やまとひめ)が産んだ皇子「椀子皇子(まろこのみこ)」を祀る国神神社が在ります。
日本書紀に拠れば「椀子皇子」は「三国公」の先祖とされています。「三国公」は「三国君」や「三国真人」として日本書紀や続日本記などに中央の官人として名前が登場するほか、古い文献にも子孫たちの名前が登場します。丸岡町については、「継体天皇の故郷を訪ねる旅(1)坂井市丸岡町」もご参照ください。

この「三国公」の「三国」は地名ですが現在の「三国町」の様な狭い地域を表したのではなく、坂井地域あるいはその周辺も含む大きな地域の総称だったようです。
また、一説には古代の坂井地域には日本海に続く大きな湖や湿地帯が多くあった事から「水国」が変化して「三国」になったのではないかという説もあります。

Osima11_3 Mikunizinzya11_1


また、坂井市三国町(旧三国町)には垂仁天皇の皇子「磐衝別命(いはつきわけのみこ)」を祀る大湊神社や継体天皇を祀る「三国神社」(明治になって継体天皇を祀っていた水門宮を合祀した)があります。

Mikunitizu55



交通アクセス

坂井市丸岡町方面
車・・・・・北陸自動車道丸岡インター
     国道8号線
バス・・・JR福井駅前バス乗り場から丸岡方面行き
     JR芦原温泉駅バス乗り場から丸岡方面行き

坂井市三国町方面
車・・・・・北陸自動車道丸岡インター及び金津インターから三国・芦原方面へ
     国道305号線
電車・・・JR福井駅隣接えちぜん鉄道「福井駅」から「三国神社駅」または「三国駅」下車
バス・・・JR福井駅前バス乗り場から三国・東尋坊方面へ
     JR芦原温泉駅バス乗り場から三国・東尋坊方面へ

継体天皇の後継者たちへの旅(3) 明日香村

奈良県明日香村は古代の宮跡や古墳などの史跡が多く残り、この中には継体天皇の皇子で第28代「宣化天皇」と第29代「欽明天皇」に関する史跡も残っています。

「宣化天皇」は継体天皇の妃「目子媛(めのこのひめ)」(尾張氏系)の第2皇子として生まれ、名を「檜隈高田皇子(ひのくまのたかたのみこ)」といいます。
兄「安閑天皇」の崩御伴い天皇に即位したと言われています。

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この「宣化天皇」の宮「檜隈の廬入野宮(ひのくまのいおりののみや)」は明日香村檜前(ひのくま)にある「於美阿志(おみあし)神社」付近にあったとされています。
現在はこの神社の境内に宮跡を示す石碑が建てられています。
また、この地は渡来人が多く住んでいたところで、神社の横には古代にあった「檜隈寺」の礎石が残っています。

「欽明天皇」は継体天皇の皇后 白手香皇女(仁賢天皇の娘)の長男として生まれました。
即位後の宮は「磯城島金刺宮(しきしまのかねさしのみや)」で現在の桜井市金屋・外山付近と言われています。

Kinmeiryou11 陵墓は宮内庁より明日香村大字平田にある「欽明天皇陵」が指定されています。この陵墓は近鉄吉野線飛鳥駅の近くにあり、駅から国道169号線を少し北に行った所を右折して郵便局手前を標識に従い左折して細い道を100メートルぐらい入った所にあります。

Saruisi11 この古墳の近くには「猿石」として有名な4体の石像がある、皇極・孝徳天皇の母の「吉備媛」の墓と言われる小さな古墳があります。

所在地については下記の地図をご参照ください。

1 於美阿志神社   2 欽明天皇陵
3 天武持統天皇陵 4高松塚古墳
5 キトラ古墳     6 歴史公園館
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アクセス

電車
近鉄吉野線 飛鳥駅
檜前まで約1.5キロ


国道169号線及び県道210号にて檜前へ

継体天皇の系譜をめぐる旅(3)石川県加賀市

継体天皇の母振姫(フリヒメ)についての家系は、垂仁天皇の子「イワツキワケノミコ」から続く家系です。

振姫の出身地は日本書紀のよれば「三国の坂中井」および「高向」とあり、現在の福井県丸岡付近です。ここには昔、高椋村(たかぼこむら)があり、振姫を祀った高向神社ありました。現在は福井県坂井市丸岡町高田に高向神社があります。また、丸岡町石城戸のある「国神神社」には振姫の父「コハチノキミ」を祀った高向神社が合祀されています。

さて、振姫の母親の家系を「上宮記逸文」にある家系図から見ると「ヨヌノオミ」の名前を見つけることが出来ます。この「ヨヌノオミ」は「江沼氏」のことで丸岡がある坂井平野とは県境をはさんだ石川県加賀市・小松市付近に本拠地を持った豪族です。この付近は「江沼郡」と言われ、越国から加賀国・能登国が分離する前まで越国に属していました。

Kituneyama11 写真は加賀市二子塚町にある「江沼氏」の古墳と言われている「狐山古墳」です。この付近には多くの古墳が点在していましたが現在は確認できないものも多いようです。
所在地は下記の地図をご参照ください。

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Teraikofun1 また、小松市の隣、能美市寺井(旧寺井町)秋常付近の和田山・末寺古墳群にある「秋常山(あきつねやま)1号墳」は石川県最大の前方後円墳です。

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継体天皇の系譜をめぐる旅(1)滋賀県米原市

日本書紀によれば、今から千五百年前(西暦507年)に継体天皇は樟葉宮(くづはのみや)、現在の大阪府枚方市楠葉で天皇に即位しました。
継体天皇の出生については謎が多く、その血筋についても疑問視されています。
さて、ここでは謎や疑問点について触れずに鎌倉時代に書かれた「釈日本記」の中に引用されている「上宮記逸文」にある、継体天皇の系譜に関わる人たちについてご紹介したいと思います。

まずは、継体天皇の父方の家系は「ホムツワケオホキミ」つまり応神天皇の子「ワカヌケフタマタノミコ」に続く家系で応神天皇の5世の孫とされています。父親は「ウシノミコ」です。

Okinagasihi1 父の出身氏についてはいろいろな説がありますが、現在有力視されているのは滋賀県米原市付近に本拠地を持っていたと言われる「息長氏」です。
日本書紀には三尾の別業と書かれており、現代風に言うと出張所という意味であることから、琵琶湖の対岸にあたる湖東に本拠地を持つ大豪族で大和政権とも深く結びついていたと言われる「息長氏」が挙げられています。また、「上宮記逸文」にある家系図の前半部分が「息長氏」の家系とも一致しているそうです。

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写真は米原市の旧近江町能登瀬地区にある「山津照神社」境内にある息長氏の古墳と言われている「山津照神社古墳」です。

この旧近江町付近には多くの古墳が点在しています。また、近くには出土した「はにわ」を展示した「はにわ館」があります。

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ここでその他の説も簡単にご紹介しましょう。

Takasimausiou11_1 三尾氏説
日本書紀によれば、近江国高島郡三尾(現在の滋賀県高島市三尾里付近)で生まれたとされています。(三尾氏は垂仁天皇の子「イワツキワケノミコ」を先祖としていることから一説には応神天皇の家系ではなく、垂仁天皇の家系という説もあります。)写真は旧安曇川町(現在は高島市)田中にある田中神社の山上部にある継体天皇の父親の墓と言われている「彦主王(うしおう)御陵」です。

越国の三尾氏説
この説は越国の地名にもかって「三尾」があり、本拠地は越国の三尾であると言われています。

以上のほかにもさまざまな説があります。

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継体天皇の故郷を訪ねる旅(1)坂井市丸岡町

福井県坂井市丸岡町は継体天皇の母、振姫が生まれ育った所と言われています。
また、日本書紀に拠れば幼い頃に父を亡くした継体天皇が近江国三尾から母振姫と共に移り住み、即位前までの時期を過ごした第2の故郷でもあります。

Maruokazyou11 丸岡は日本最古の天守閣 「丸岡城」が残る街です。以前は丸岡町でしたが、市町村合併により坂井市となっています。



さて、丸岡には、継体天皇にゆかりのある神社や北陸最大規模の前方後円墳などの多くの古墳が点在しています。古墳のほとんどは丸岡周辺の山の尾根に作られています。

Wankasiyamakofun22 この中で横山古墳群がある坪江地区の平地には、馬蹄形の壕があったと言われる「わんかし山古墳」という可愛らしい古墳があります。
この古墳は国道8号線瓜生交差点近くの工場の敷地内にありますが、道路沿いの垣根から見るこが出来ますし、工場の事務所に言えば敷地内から見学できます。また、丸岡城も古墳跡に築城されたと言われています。


では、ここで丸岡地域にある継体天皇ゆかりの地を多少ご紹介しましょう。


Yokoyamazinnzya1_3 1 横山神社 (坪江地区)
この神社は三国公の祖先が眠る「横山古墳群」に隣接し、坪江郷34ヶ村の総社として延喜式にも記される古社です。
祭神には継体天皇を祀ています。

Takamukuzinnzya1 2 高向神社 (高田地区)
日本書紀に記される継体天皇の母「振姫」の故郷「多加牟久(たかむく)」とされる旧高椋(たかぼこ)村にある神社です。
昔は高田地区の北方200mにあった古堂様(ふるどうさま)と言われる地にあり、振姫の父(ヲハチノキミ)を祀っていたと言われる延喜式に記された古社でした。
明治の初め頃に「国神神社」に合祀され、現在は水田地となっています。
現在の社は昭和40年ごろ現在地に再建されたものです。


Kunikamizinzya113 国神神社 (石城戸1丁目)
継体天皇の皇子「椀子皇子」が生まれたと言われる岡に皇子の衣を埋めて神明宮を設けたとの伝承があり、戦国時代の終わりにこの岡に「丸岡城」が築城されることになって現在の地に移されました。
継体天皇の子「椀子皇子」を祀り、相殿に「振姫」と「応神天皇」を祀っています。

Kumedazinzya11_24 久米田神社 (下久米田地区) 
「大伴金村」はこの地に留まった継体天皇即位前の妃(当地の豪族の娘)と赤子を迎えに来ましたがすでに亡くなった後で、二人をこの地厚く葬ったと伝えられ、敬意を表してこの社に「大伴金村」を祀っています。


Tennoudu1_15 天皇堂(てんのう堂) (女形谷地区)
日本書紀には西暦507年1月先帝の崩御に伴い、越国に住んでいた継体天皇に対して即位の要請に来た臣・連らとの会見の様子が記されています。
水田地の一角にある、この地が会見の場と伝わり「継体天皇」が腰掛けた「腰掛け石」などが在ります。


Rokurosekofun11_16 六呂瀬山古墳群
九頭竜川右岸の山腹や稜線部に点在する古墳群で、継体天皇の母「振姫」の祖先一族の墓ではないかと言われています。

 

Yokoyamakofungun22 7 横山古墳群
竹田川右岸の山腹や山稜に点在する古墳群で、椀子皇子の子孫「三国公」一族(三国真人一族の祖先)の墓ではないかと言われています。


所在地については下記の地図をご参照ください。(なお、解像度が低いので判りづらいかもしれません。)

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継体天皇についてのプロフィール(1)

2007年は現在の天皇陛下の祖先と言われている「継体天皇」が即位して1500年になります。
古代の歴史書「日本書紀」によれば、西暦507年2月4日に樟葉宮で即位したと書いてあるそうです。
継体天皇に関わりのある地域ではいろいろなイベントが計画されています。

ここで、継体天皇についてあまり知らない方もいらしゃると思いますので簡単なプロフィールをご紹介しましょう。

継体天皇プロフィール

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出身地     滋賀県高島市
                     (旧高島郡安曇町三尾里付近)

 父       彦主人王 (出身地 滋賀県)

 母       振姫    (出身地 福井県)

生年月日    450年頃 (月日不明)

          (古事記に拠れば490年頃)

略 歴

幼い頃、父親と死別。母の実家である、高向郷(福井県坂井市丸岡)で成長。

506年12月   武烈天皇崩御

507年1月    大伴金村が使者として即位を要請

57年2月4日樟葉宮にて即位

507年3月手白香王女を皇后として迎える

511年   筒城宮へ遷都(京都府京田辺市多々羅谷)

518年   弟国宮へ遷都 (京都府長岡京市今里)

526年   磐余玉穂宮へ遷都 (奈良県桜井市池之内)

527年   磐井の乱

531年2月頃 磐余玉穂宮にて崩御 (82歳)
         (古事記に拠れば43歳)

531年12月三嶋藍野陵に葬る
        (今城塚古墳・高槻市氷室1丁目)

以上、、年月日をかきましたが、この年月日は当時中国から伝わった古代の暦を基にしていますので、研究者によっては異論があるようです。
(写真は福井市の足羽山にある継体天皇像です)

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2006年12月 9日 (土)

継体天皇についての伝承地(5) 本巣市根尾

岐阜県本巣市は根尾川沿いの本巣町・糸貫町・真正町・根尾村が2004年に合併して出来た新しい市です。

Neousuzumizakura1 さて、本巣市を流れる根尾川の上流、福井県と境を接す所に根尾地区(旧根尾村)があります。ここには樹高約17m・枝張り約23m・幹周り約9m・樹齢1500年と言われる天然記念物に指定された「薄墨桜」が在ります。

この桜には、継体天皇の生い立ちに関する意外な伝承があり、その伝承は昭和の初め頃に発見された「真清探當證(ますみたんとうしょう)」と題する古い本の中にも書かれています。そしてその内容は「日本書紀」に書かれているものとは、大きく異なるものです。

「真清探當證(ますみたんとうしょう)」については1992年に河出書房新社から出版されている小椋一葉氏の著書「継体天皇とうすずみ桜」を参照していただくとおもしろいと思います。

では伝承について簡単ご紹介しましょう。

皇位継承の争いで父の市辺押磐皇子が後の雄略天皇に殺され、その子である億計王と弘計王の兄弟は、尾張に逃げて隠れ住みました。
月日が流れ、弟の弘計王に皇子(後の継体天皇)が生まれましたが、雄略天皇を恐れて養父母に託し、根尾谷に隠して育てる事になりました。
雄略天皇が亡くなって何年かが過ぎて、清寧天皇によって見出された兄弟は都に戻ることが出来ました。
そして賢者であった弟の弘計王が天皇(第23代顕宗天皇)に即位し、その後を継いで兄の億計王が天皇(第24代仁賢天皇)に即位しました。
この時、29歳に成っていたのちの継体天皇が都に上がることになり、別れを惜しんで桜の木を植えたそうです。
以上が簡単な「薄墨桜」に関する内容です。

なお、以前には奈良時代に都を追放された「根尾殿」の墓標とも言い伝えられていたそうです。

伝承が残る根尾地区は、継体天皇の父方の祖母の出身氏「伊自牟良氏」の支配地域にある武儀川の上流部と境を接し、伊自良地区とも非常に近い位置にあります。
また、「温見峠」を越えると越国に行くことが出来ることから古代より尾張や美濃と越を結ぶ道があったと思われます。
現在は国道418号線や国道157号線が走っています。

所在地については下記地図をご参照ください。
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根尾の薄墨桜
所在地 岐阜県本巣市根尾板所

電車では
JR大垣駅から樽見鉄道にて(約1時間)終点「樽見駅」下車、徒歩約15分

車では
名神高速大垣インターから大垣市内を抜けて本巣方面へ約40キロ
国道157号線と418号線分岐地点を過ぎて左折して新市場橋にて根尾川を渡り坂を上がる。
シーズンには交通規制あり。

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2006年12月 7日 (木)

継体天皇に関する参考書籍及び文献

即位1500年を迎える継体天皇に関する参考書籍及び文献についてご紹介しましょう。

日本書紀・古事記について

日本書紀(岩波文庫) 全5冊
(坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋)

全現代語訳 日本書紀 (宇治谷孟)

日本書紀(全3巻) (監訳 井上光貞)
       (訳 川副武胤・佐伯有清)

全訳 古事記 (次田真幸) 
古事記注釈 全8冊 (西郷信綱)

継体天皇について

1975年  継体天皇の謎 日本海王朝の系譜
                         (能坂利雄)
1991年  越の国シンポジウム継体大王の謎に挑む
              (越まほろば物語編纂委員会)
1992年  継体天皇とうすずみ桜 (小椋一葉)

1994年  継体天皇と尾張の目子媛 
            (網野善彦・門脇禎二・森 浩一)
1995年  継体王朝の謎 うばわれた王権
                    (宇治市教育委員会)
1998年  継体天皇と渡来人(森 浩一・上野正昭)

1998年  継体天皇と越の国
       (まつおか古代フェスティバル実行委員会)
1999年  継体天皇と古代の王権 (水谷千秋)

2000年  継体大王とその時代
          (財団法人枚方市文化財研究調査会)
2000年  第7回春日井シンポジウム
            継体王朝 日本古代史の謎の挑む
                  (森浩一・門脇禎二 編)
2000年  古代 天皇系譜の謎 (高畠麒四郎)

2001年  謎の大王 継体天皇 (水谷千秋)

2006年  日本の遺跡7 今城塚と三島古墳群(森田克行)

2007年  史跡今城塚古墳の第10次調査
        現地説明会資料 (高槻市教育委員会)



福井県内での発行図書文献

1935年  継体天皇と越前  (石橋重吉)

1972年  継体天皇の研究  (白崎昭一郎)

1982年  継体天皇ご発祥に関する研究
                   (斉藤與次兵衛)
1997年  継体天皇と今城塚古墳
                (高槻市教育委員会)
2000年  越まほろば物語 編纂誌
              (越まほろば物語編纂委員会)
2006年  うまし味真野 合併50周年記念誌

2006年  継体大王即位1500年記念誌
         継体大王 越の国からいにしえに明日を
            (越の国ルネッサンス実行委員会)
2006年  継体大王ゆかりの地
      (六呂瀬山古墳群と鳴鹿大堰を愛する会編)


発行年不明 越の振姫と継体天皇 
                (丸岡町教育委員会)



宮跡・所在地について

1995年  古代天皇の都 (鈴木 亨)

2001年  神々と天皇の宮都をたどる (高城修三)

2004年  乙訓の原像 (中村 修)



その他

2005年  古代史の基礎知識 (吉村武彦)

1998年  古代天皇の誕生 (吉村武彦)

1993年  日本の国号 (坂田 隆)

2003年  日本書紀の真実  紀年論を解く
                         (倉西裕子)
2004年  「記紀」はいかにして成立したか
                         (倉西裕子)
1990年  日本古代氏族人名辞典
            (坂本太郎・平野邦雄)

1994年  石棺から古墳時代を考える(間壁忠彦)

2002年  石の考古学 (奥田 尚)

2007年  大王家の柩 (板橋旺爾)


1960年  足羽山の古墳 (斉藤 優)

1993年  知ってるつもり 松岡古墳群
        (学習用パンフ) 松岡古墳群を守る会

2005年  石舟山古墳・鳥越山古墳・二本松山古墳
        報告書   松岡町教育委員会

1997年  福井市史通史編1古代・中世
                      (福井市)

1987年  改訂登ってみねの福井の山 福井山歩会
   
       



古代の道について

1978年  古代日本の交通路Ⅱ(藤岡謙二郎)

2005年  完全踏査 古代の道
        木下良(監)・武部健一(著)

2002年  歴史の道調査報告書第4集
        朝倉街道・鯖街道(福井県教育委員会)

2005年  奈良と伊勢街道 (木村茂光・吉井敏幸)

天皇陵について

1994年  天皇陵総鑑 (水野正好 他)

       事典 陵墓参考地 (外池 昇)

上記以外にも書籍及び文献があると思いますので随時追加していきたいと思います。

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