継体天皇についての伝承地(4) 坂井市三国町
福井県坂井市三国町(合併前の福井県三国町)は「三国湊」として古代より知られ、「越前かに」が水揚げされる三国漁港や切り立つ岩場で知られる「東尋坊」などで知られる港町です。
また、岐阜県境から福井県を縦断して大野市・勝山市・永平寺町・坂井市を通り日本海に流れ込む大河「九頭竜川」の河口に位置し、古代には大きな湖の口にあったことから「水の国」の意味で「水国(ミズクニ)」が変じて「三国」になったのではないかと言われています。
さて、この三国町で11月19日に「継体天皇と三国水門開闢(みくにみなとかいびゃく)」と題して富永亮一郎先生による講演会が開催されました。この講演会とその資料を参考にして、三国町に残る継体天皇に関する伝承地をご紹介しましょう。
これらの伝承は継体天皇がまだ皇子として「坂中井」に住んでいた時に古代にこの地方に在った大きな湖に水路(現在の九頭竜川の「銚子口」と言われる河口)を造り、日本海に水を放出して広大な農地を開く治水工事を行った伝承に関するものです。 山王地区
竹田川に架かる栄橋付近から集落に入ると正面に三国神社の鳥居が見えます。ここが継体天皇を祀る「三国神社」です。
昔は九頭竜川右岸の河口の近くにあった「水門(みなと)宮」に継体天皇が祀られていましたが、明治に入り三国神社境内の桜谷宮に合祀されて現在に至っています。
なお、「水門宮」に伝わっていた船の形をした「舟御輿」は北陸三大祭りの一つと言われる三国神社の例祭 「三国祭」の時に担ぎ出されます。
また、この地区には「御所垣内」と言う地名があり、ここに継体天皇の母「振姫」が御所を建てて住んだと伝えられています。
神明地区
この地区にある「神明神社」一帯は昔「枚岡山(ひらおかやま)」と呼ばれる小高い丘になっていたところで「清王町」や「清王畑」・「御井戸町」などの地名が残り、ここにも離宮が在ったと伝えられています。 安島(あんとう)地区
この地区に陸上部と朱塗りの橋で繋がった「雄島(おしま)」と呼ばれる小さな島があり、この島には継体天皇の母「振姫」の出身氏である三尾氏の祖と言われる「磐衝別命(イワツキワケノミコト)」を祀っていた「大湊神社」があります。
梶地区
松島水族館の近くにある梶地区の「貴船神社」の境内には、継体天皇が休憩したときに座った伝えられる「腰掛石」が在ります。
池上地区
治水工事を行うための離宮があったとされる「池上地区」には、集落の中心部に日本武尊や継体・安閑両天皇を祀る式内社「伊伎加美(いけがみ)神社」があります。また、集落の北西部の丘陵部付近には継体天皇が暮らした跡として「大(王)屋敷山」や「王馬家畑(おばけばた)」・「堂池谷田」少し離れた所に「皇子池(みこがいけ)」などの地名が残り、現在はこれらの地には地名を期した標柱が建てられています。 蒿(たけ)地区
この地区の「湊別神社」は、継体天皇が銚子口を開く治水工事の成功を祈願して神を祀ったと伝えられています。 新保地区
九頭竜川に架かる「新保橋」を渡った九頭竜川左岸近くにある「春日神社」は継体天皇を祀る「片岸神社」を合祀して現在に至っています。 山岸地区
新保地区の南にある山岸地区には「片岸神社」があります。この神社は昔、九頭竜川対岸の右岸川崎地区にある「鵜糞神社」を兄神とし、弟神として信仰を集めていました。祭神は継体天皇でしたが織田信長の越前進行により消失し、後に神明神社として再建されました。
所在地については下記の地図をご参照ください。
1 山王 (三国神社) 2 神明 (神明神社)
3 安島 (大湊神社) 4 梶 (貴船神社)
5 池上 (伊伎神社) 6 蒿 (湊別神社)
7 新保 (春日神社) 8 山岸 (片岸神社)
9 川崎 (鵜糞神社) 10 山王 (御所垣内)
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