男大迹王 倭の使者と会見
今から1500年前の西暦507年1月6日に天皇への即位を招請する使者は越国三国(現在の福井県坂井市)へ向かいました。
「男大迹王(をほどのおう)」(後の継体天皇)は侍臣を整列させて倭からの使者を迎えましたが、天皇への招請にはすぐには応じませんでした。
「男大迹王」は招請に対して疑念をもっていました。
しかし、たまたま知っていた「河内馬飼首荒籠(かわちのうまかいのおびとあらこ)」から密かに使者が来て、倭政権の事情を伝えた事から招請を受けることとなりました。
そして、1月12日に樟葉宮(現在の大阪府枚方市楠葉 交野天神社)に着いたと日本書紀に書かれています。 現在、福井県坂井市丸岡町女形谷には「男大迹王」の宮があったと言い伝えられ、「天皇堂」と呼ばれるお堂の跡があります。
ここが会見の場所と言い伝えられ、「男大迹王」が座ったと言われる腰掛け石があります。 また、近くの坪江地区には継体天皇を祀る「横山神社」があります。
その他、この周辺には「わんかし山古墳」の他に山稜に古墳が点在しており「横山古墳群」と呼ばれています。
因みに、福井県坂井市丸岡町から大阪府枚方市までの約200キロあり、徒歩で向かったとすると6日ぐらいの日程が必要となります。
また、馬を使用したのであれば、日本在来馬で時速30キロぐらいで走るそうなので1日か2日程度で到着したのかも知れません。
福井県坂井市丸岡町周辺の継体天皇関連史跡については下記の地図をご参照ください。
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