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2007年2月12日 (月)

建国記念日と継体天皇

2月11日は建国記念日です。
また2月4日は継体天皇が「樟葉宮」で即位した日です。

これらの月日の根拠になっているものは、古代日本の正史書「日本書紀」です。
「日本書紀」は7世紀後半「天武天皇」の発願によって編纂が始まったとされ、当時手に入った国内外の各種の書物を参考にして創られたと言われています。

「日本書紀」は天と地が生まれる時からの物語に始まり、天孫降臨から百七十九万二千四百七十余年後の紀元前665年頃に後の「神武天皇」が東征を決意して4年後に河内国に入り、紀元前660年に橿原宮で初代天皇として即位して以後の歴史を歴代天皇に関わる事を中心に年代を記して順に述べられています。

「日本書紀」については「国学」が盛んになった江戸時代以降、活発に論議が繰り返されて研究も進んできました。

この中で「日本書紀」に使われている「暦(こよみ)」についても研究が進み、第20代「安康天皇」前後の記述を境にして古代中国から伝わった「儀鳳暦(ぎほうのこよみ)」と「元嘉暦(げんかのこよみ)」という二つの暦が使われていることが判ってきました。

そして驚くことに初代「神武天皇」から第19代「允恭天皇」頃までの前半に使われている「儀鳳暦(ぎほうのこよみ)」は「安康天皇」以後の後半部分に使われている「元嘉暦(げんかのこよみ)」よりも新しい暦であり、編纂が始まった頃に使われた当時最新の「暦」であることが判ってきました。

この事から日本に「暦」が伝わった5世紀後半以後の「元嘉暦」が記された資料とそれ以前の「暦」による年代が記されていない資料を元に「日本書紀」が編纂されたのではないかと言われています。

さらに驚くことに、年代のはっきりしなし部分は百済などから伝わった資料を元にして辻褄が合うように年代を創作したと言うのです。

さらにさらに驚くことに初代「神武天皇」の即位年は、編纂当時の最新の暦「儀鳳暦」の基本となる「総法1340」という周数(周期数あるいは循環する序数)であり、宇宙と人間界を貫く真理(普遍的なものまたは新しく生まれ変わる或いは革命的変化が起こる)とも考えられた聖なる周数「1340」を元に創作決定されたと言う説があります。

これは「天武天皇」が「日本書紀」の編纂を発表した西暦681年から一巡(1340年)遡った年を計算して、即位年(西暦紀元前660年)を創作決定したのではないかと言うものです。
このために歴代天皇の在位年数が異常に長いものや架空の天皇が存在する事になったのではないかとも言われています。

「暦」については、有坂隆道氏が書かれた「古代史を解く鍵 暦と高松塚古墳」(講談社 1999年)の「第一章 日本書紀の暦日」をお読みください。

また、倉西裕子氏が書いた「日本書紀の真実 紀年論を解く」(講談社 2003年)などもご参照ください。

因みに建国記念日の2月11日は「日本書紀」に書かれている初代「神武天皇」の即位年月日「辛酉年正月庚辰朔」(辛酉(かのととり)の年1月1日)を明治時代にグレゴリオ暦(現在の暦)で計算して定められた月日です。

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コメント

こんにちは~。
建国記念の日にupした私めのブログの記事と「タイトル」が似ていたので興味津々で、覗かせていただきました~。

私は、大阪は枚方に住んでいて、歩いて行ける範囲の所に「樟葉宮」があります。

マンモスな住宅街の中に、そこだけ別世界のような森が広がり、まわりの空気まで違って感じます。

失礼ながらTBをさせていただきましたので、ご挨拶かたがたコメントを残させていただきました。

ではでは、またお邪魔させていただきます。

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