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2007年2月 1日 (木)

継体天皇 高向から樟葉宮への旅(2)

日本書紀に拠れば、今から1500年前、「男大迹王(をほどのおおきみ)」と呼ばれた王が越国三国から河内国交野郡樟葉へ「大王」に即位するために旅立たれたと書かれています。彼こそが「第26代継体天皇」です。

では、彼はどの道を辿って樟葉へ向かったのでしょうか。
「継体天皇 高向から樟葉宮への旅(1)」で大凡のルートをご紹介しました。今回はもう少し詳しく、少ない資料を基に推測してみたいと思います。

Tennoudou44 まず、出発地については、宮跡の伝承や会見の地「天皇堂」などの地元に伝わる伝承から「福井県坂井市丸岡町女形谷」をスタートの地とします。(異論はあると思いますが)


続いて辿った道筋ですが、太古の道は沼地などが多い川の氾濫域を避けるために山沿いに道が造られたと言われ、奈良県の奈良市から桜井市の山沿いにある「山辺の道」などが代表的な道と言われています。

そこで丸岡町周辺で道を探してみると、戦国武将「朝倉氏」が造ったと言われる「朝倉街道」が山沿いにあることが判りました。
この道はすべてが新しく造った道ではなく、多くは古くから在った道を修復拡張した道だと言われています。
また、この道は継体天皇の宮跡との伝承がある越前市「粟田部」や「味真野」を通っています。
そこで「朝倉街道」を辿って見ることにします。

「朝倉街道」については不明な点も多く、幾つかのルートがあります。今回は山沿いの道を進むことにします。

Narukabasi55 まず、丸岡町豊原から山崎三ヶを経て山沿いに鳴鹿へ向かい、ここで「九頭竜川」を渡り、永平寺町東古市に出ます。
ここから永平寺川沿いに現在の364号を進み、諏訪間地区のJA吉田郡を過ぎた416号との交差点を越えて右折して県道165号に入り「越坂峠」を越えて吉野・小畑を通り小畑峠を越えて福井市坂下町に出ます。

Fukuisitoubu44 ここから高速道路沿いに進み県道164号に合流して真っ直ぐな道を南へ岡西谷町まで行きます。




Bisyamonbasi22 岡西谷町から山沿いに成願寺町に入り桜台から南に進み毘沙門橋付近で足羽川を渡り中毘沙門町に入ります。
さらに南進して越前東郷駅の近くを通り県道32号に入り栃泉町で西に折れて山沿いに深見・岩倉田治島を経て東大味町に至ります。ここで「戸ノ口峠」と「榎峠」へ進む道に分かれます。

今回は回り道になりますが標高も低く古くからあった「榎峠」を目差し、山沿いに西へ向かいます。そして西袋町から「榎峠」を越えて鯖江市大正寺町に出ます。

Imadate22 ここから「三里山」の東側を通り「粟田部」・「味真野」を経て菅谷町から「日野山」山頂の東を通る「牧谷越え」の道を登って南越前町牧谷から上野付近で「日野川」を渡り「旧北陸道」古代駅「淑羅(しくら)」があった鯖波地区に合流します。これが「朝倉街道」の概要です。

しかし、「牧谷越え」は非常に厳しい道であるため、「日野山」を大きく迂回したと考えられます。

そこで「粟田部」から西へ向かい、古代の官道「北陸道」が通ったと言われる「村国山」北側の台地状の「国高」地区を通り「日野川」を渡り「日野川」右岸の山沿いを進みます。

Simizu22 そして継体天皇の「初音の宮」跡と言われる南越前町清水「熊野神社」付近を通って「鯖波」を経て「湯尾峠」を越え「今庄」に向かいます。




Kaerukanban22 「今庄」からは、西に向かい「南今庄」へ入ります。
ここが古代駅「鹿蒜(かえる)」が在ったところで近くには「鹿蒜神社」があります。
さらに進み「中山峠」を越えて海岸線にでます。

なお、一説には海岸沿い道は「河野浦」まで続いていたとも言われ、「粟田部」から南西に進み「春日野峠」を越えて「河野浦」に出たルートが最古の北陸道ではないかと言われています。
(現在の越前市から南越前町河野へ抜ける国道8号線に近い所を通っていたと思われます。)

この後は海岸沿いを進み「敦賀」から「若狭国」「近江国」「山城国」を経て「樟葉宮」へ至ったのではないかと推測します。

古代の道については「古事記」や「日本書紀」などの記述を元に研究されています。
例えば、「古事記」の中に応神天皇が作られた「この蟹や何処の蟹 百伝ふ 角鹿の蟹 横去らふ 何処に到る ・・・・」という歌あります。一説にはこの歌は敦賀から奈良に住む「和邇氏」に蟹を献上した時の歌だと言われています。この中には敦賀から奈良までのコースが歌われていて、それによると「敦賀から琵琶湖西岸を経て山科から木幡・宇治を経て奈良へ向かった」事が推測されるそうです。


「朝倉街道」のルートについては下記の地図をご参照ください。

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