継体天皇異伝 剣神社盛衰記
杉原丈夫氏の編纂による「越前若狭の伝説」の中には、継体天皇に関わる伝説も数多く収められています。 中でも福井県越前町織田にある「剣神社」に伝わる「剣神社盛衰記」に書かれていたと言われる継体天皇の伝説は「日本書紀」のものとは大きく異なっています。
内容は下記のようなものです。
仁賢天皇の皇后はたぐいまれな美女でした。
右大将の武烈は、皇后に横恋慕して仁賢天皇を罠に落として退位させ、天皇に即位しました。
仁賢天皇の子供を宿していた皇后は、武烈の意に従わなかったので武烈に足を板で打たれました。
この足の傷に黒い羽がはえたので、後世にこの皇后を「足羽の宮」と呼んだそうです。
そして皇后は丸木船に乗せられて湖に流され、越の国に着きました。そこで炭焼きをする「藤太」に助けられて子供を産みました。
この皇子が後の継体天皇です。
さて、皇子が6歳の時に母子は金色の布を振りながら都に上りました。そして噂を聞いた仁賢は皇子と対面しました。
しかし、皇后は対面できずに越の国へ戻って炭焼き小屋跡に宮を建てました。この場所が今の「足羽の宮」(足羽神社)です。
以上のような内容だそうです。
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