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2007年3月 1日 (木)

継体天皇と安閑天皇

日本書紀に拠れば、第27代「安閑天皇」は「継体天皇」と尾張連草香の娘「目子媛(めのこのひめ)」との間に生まれた皇子で「勾大兄皇子(まがりのおほえのみこ)」と呼ばれていました。
生まれた場所は不明ですが、「継体天皇」は即位前まで越国で暮らしていた事から考えると越国で生まれたと推測されます。
しかし、この時代にはまだ母系社会が強く残っていたとされることや平安時代まで「通い婚」(夫が妻の実家に通う婚姻形式)があったことから母「目子媛」の故郷「尾張」で暮らしていたのかも知れません。

Azimanomagarinosato11 因みに越国、現在の福井県内には越前市味真野(写真は勾皇子が住んだと言う真柄にある勾の里の碑)や粟田部、坂井市三国町池上地区などに「勾皇子(まがりのおうじ)」が生まれ育ったとされる伝承が伝わっています。

Tutukinomiyasekihi1_2 今から1500年前の西暦507年3月5日(旧暦2月4日)に継体天皇が「樟葉宮」で大王に即位した後、二番目の宮「筒城宮」(写真は同志社大学田辺キャンパス内にある筒城宮跡の碑)に遷都した2年後の継体7年(513年)9月に「勾大兄皇子」は「仁賢天皇」の皇女「春日皇女」と結婚したと書かれています。
また、この年の12月には継体天皇の後を継ぐ「大兄皇子」(皇太子のこと)に指名されて継体天皇と共に政務を行ったそうです。

その後、継体天皇は継体20年(526年)に大和入りして「磐余玉穂宮」に宮を開らきましたが翌年(527年)には筑紫国の「磐井」の征伐に乗り出して1年半後に平定しました

継体25年(531年)には継体天皇が病にかかり、亡くなる前に皇位を譲られて「勾大兄皇子」が大王に即位したと書かれています。

Kanahasinomiya1_2 「勾大兄皇子」の即位後の宮は「金橋宮」と言い、現在の奈良県橿原市曲川町の金橋神社付近に在ったとされています。




Ankaryou11_1 しかし、即位後2年で亡くなられ、古市高屋丘陵に葬られたと書かれています。この時、70歳だったそうです。
現在、宮内庁では古市高屋丘陵を大阪府羽曳野市古市5丁目にある「高屋築山古墳」として「安閑天皇陵」に指定しています。

なお、日本書紀には継体天皇の崩御年の資料として「百済本記」の中の記述を示していますが、これには天皇と皇太子そして皇子が共に亡くたったと書かれています。
これが事実とすると「継体天皇」が亡くなられた時に「勾大兄皇子」も亡くなったことになります。

安閑天皇「金橋宮」については継体天皇の後継者たちへの旅(2)橿原市をご参照ください。

また、「安閑天皇陵」については継体天皇の後継者たちへの旅(1)羽曳野市をご参照ください。

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