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2007年3月 2日 (金)

継体天皇と今城塚古墳

日本書紀によると継体25年2月7日に「磐余玉穂宮」で亡くなられた「継体天皇」はこの年の12月5日に「藍野陵(あいののみささぎ)」に葬られたと書かれています。
一方、古事記には「三島の藍陵」と書かれています。

天皇の陵墓については18世紀の初め頃に徳川幕府が各藩に天皇陵墓の所在を報告するように命令を出したことが知られています。
その後も天皇陵の所在探しが行われ、幕末から明治にかけて天皇陵墓の確定が行われてきました。

そして現在では宮内庁により各天皇の陵墓が指定され、関連する古墳や天皇陵墓として可能性があるものについては参考陵墓として宮内庁が指定管理をしています。(考古学的に天皇陵墓として疑問を指摘されている陵墓もあるが宮内庁は改める気配はない。)

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Ootachausuyama11_2 宮内庁に拠れば「継体天皇陵」には大阪府茨木市にある「太田茶臼山古墳」(墳丘長230m)を指定しています。



Imasirotukakofun44  しかし、考古学研究者による古墳の研究・調査によって「太田茶臼山古墳」の東側1.5キロのところにある「今城塚古墳」の方が埴輪の年代などの考古学的資料から見ると「継体天皇陵」にふさわしいのではないかと言われています。



Imasirozuka55 「今城塚古墳」は大阪府高槻市郡家新町にあります。
墳丘長182m
後円部 直径100m・高さ11m
前方部 幅142m・高さ12m
築造時代 6世紀前半
現在は国の史跡に指定され、高槻市によって史跡公園として整備が進められています。
また、高槻市教育委員会によって毎年発掘調査が行われた結果、「中世の砦の造成によって古墳が大きく壊された」とされていましたが、「太閤秀吉が築城した伏見城の天守閣が崩壊したことで知られる慶長伏見地震による地滑りで古墳の形が大きく崩れた」ことが解ってきました。

平成18年度の発掘調査では、後円部に在った石棺を納める石室の下の基礎部分が発見されました。

この現地説明会が平成19年3月4日日曜日午前10時から午後3時まで「今城塚古墳」で行われるそうです。
なお、周辺には車の駐車場は在りませんが最寄りの駅から臨時バスが出るようなので、詳しくは高槻市のホームページ」のお知らせをご覧ください。

また、過去の現地説明会については森本行洋氏のホームページ 古墳のある街並みから」の古墳見て歩き今城塚古墳を閲覧していただくと大変良く解ります。

なお、当ブログ継体天皇の陵墓を旅する 高槻市の記事もご参照ください。

「今城塚古墳」の所在地については下記の地図をご覧ください。
名神高速「茨城インター」から国道171号へ約5キロ
JR摂津富田駅から約1.5キロ(徒歩約25分)
JR高槻駅から約2.5キロ

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コメント

午前中、今城塚行きました。なお私も継体研究の端くれです。
説明会関連記事と文献一覧を以下から
http://blogs.yahoo.co.jp/zenikinnyama/45169998.html

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» 天皇陵、発掘。 [不純文學交遊録 ]
3月1日、大阪府高槻市にある今城塚古墳から強固な石組み遺構が見つかったと発表されました。 今城塚古墳は第26代継体天皇の陵墓であるとする説が有力であり、発掘結果からも今城塚が大王陵クラスであることが裏付けられました。 今城塚古墳は被葬者の権勢の強さを示す、巨大..... [続きを読む]

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