石棺の故郷(3) 越前青石 (福井市)
今から千五百年前に第26代天皇として即位した「継体天皇」は父の死後、母「振姫」の故郷「越前国」で幼青年期を過ごしたと言われています。
母「振姫」の故郷は「越前国三国坂中井」にあった「高向」と言うところで、現在の福井県坂井市丸岡町にありました。
この地域周辺の峰には多くの古墳が築かれ、その中から多くの石棺が見つかっています。
越前の石棺の特徴は使用されている石材がすべて地元産の石材で、その中でも福井市中心部にある「足羽山」北西周辺から産出される「越前青石」通称「笏谷石(しゃくだにいし)」が大部分を占めていると言われています。 この「足羽山」山頂部には幾つかの古墳があります。
また、継体天皇を祀った「足羽神社」が鎮座し、山頂部にある円墳の上には笏谷石で造られた「継体天皇像」が置かれています。
そのほか山頂部全体が公園となっており、春は桜、初夏にはあじさいなどが咲き乱れ、ミニ動物園やお茶屋などもあり、福井市のシンボル的存在です。
足羽山の石切場跡は足羽山北西山麓にある「笏谷神社」周辺の岩盤露出部だけでなく、地下にある岩盤を削った巨大な横穴が幾つも造られているそうです。
写真は「笏谷神社」の近くにある「越前石七ッ尾」と呼ばれる地下採石口跡です。
「丹巌洞」は中世の石切場跡に福井藩の藩医が建てた庵で幕末の文化人が集まった所です。現在は「料亭 丹巌洞」となっていますが、今も石切場跡が残り、苔生した庭や庵には江戸時代の香りを残すところです。
越前の石棺のもう一つの特徴は「刳抜式舟形石棺」が多いと言うことだそうです。
「福井県史」によれば発見された28個の石棺の内、刳り抜き式が23個で複数の石を組み合わせた組合せ式が5個あるそうです。
そして刳抜式の内、割竹形が4個、船形が18個、不明が1個確認されているそうです。
また、石棺の中に排水溝や排水孔を造ったものもあり、これも特徴の一つと言われています。
写真は永平寺町にある松岡公園内の「春日山古墳」跡広場に置かれている泰遠寺山古墳の石棺です。 また、石棺は4世紀後半から古墳が衰退した6世紀後半にかけての二百数十年間造られ続けられたと言われ、九州や出雲の影響を受けながらも独自に発達してきたようです。
写真は松岡公園内の「春日山古墳石室」展示棟にある石棺横が開口した石棺で、出雲の影響を受けていると言われています。
大陸の先進的文化が渡来していたはずの越前において、なぜ5トン以上もある割石を手間をかけて刳り抜いて重さ1トンもの重い石棺を造り続けたのか、謎は残ります。
それぞれの所在地は下記の地図をご参照下さい。
「足羽山」
福井市足羽上町
JR福井駅下車約1キロ
(注意、愛宕坂は石段の続く道です。)
「笏谷神社」 福井市足羽5丁目
「丹巌洞」 福井市加茂河原1丁目
「松岡公園」
永平寺町松岡室
えちぜん鉄道勝山線
松岡駅下車約500m
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