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2007年4月25日 (水)

継体天皇関連のイベント情報(1)

今年は第26代継体天皇が即位されて1500年の記念の年です。

これに合わせて継体天皇ゆかりの地では、様々なイベントが開催されています。

この中で「継体天皇」と「照日の前」との恋の物語が謡われる謡曲「花筺(はながたみ)」の舞台地「福井県越前市味真野」では、5月3・4日に「あじまの万葉まつり」が行われます。

Azimanokeitai11_1 味真野は継体天皇が青年期をここで暮らしたとの伝承が残り、謡曲「花筺」の記念像がある「味真野苑」をはじめとして伝承が伝わる神社や石碑が多くあります。
また、「万葉集」の中に歌われている「都から味真野へ流刑にされた中臣宅守(なかとみのやかもり)と 都で宅守を思う狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)の悲しい恋の歌(相聞歌)」の舞台としても知られています。

この「あじまの万葉まつり」では万葉時代の衣装を着た人たちが街を練り歩く「万葉行列」が4日(午後0時15分出発)に行われ、この中には「継体天皇」や「照日の前」も登場します。

なお、味真野地域における「継体天皇伝承地」については「安治麻野コミュニティ振興会」ホームページの中の「継体天皇伝承」をご参照ください。

または、このブログの過去の記事「継体天皇の伝承地(1)福井県越前市」をご参照下さい。

その他、5月19日から21日には、北陸三大祭りの一つで継体天皇を祀る「三国神社」(福井県坂井市三国町)の例祭が行われます。
この中では、20日に御輿や山車の巡航が行われ、継体天皇の大きな山車も登場するそうです。
なお、継体天皇に関する情報やイベントにつきましては、福井県観光情報ホームページ「ふくいドットコム」の中の「継体大王と越の国・福井」をご参照下さい。


味真野へは

北陸本線武生駅下車
タクシーで約15分
バス 駅前から五分市・池田方面 味真野苑下車
(なお、バスは本数が少ないので注意が必要です)

車でお越しの場合
北陸道武生インターより約10分
(祭り当日は相当の混雑が予想されますのでご注意下さい。)

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2007年4月15日 (日)

継体天皇と野洲  滋賀県野洲市

滋賀県野洲市(やすし)は滋賀県の南東部を流れる野洲川の右岸にある街です。

この街は「近淡海安国造(ちかつあふみのやすのくにのみやつこ)一族が支配した地域と言われ、周辺には多くの古墳が点在しています。

この古墳の中には継体天皇と関わりがあるのではないかと言われる古墳があります。

この古墳は大岩山古墳群という古墳時代を通じて累々と築かれ続けた古墳群の中にあります。

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現在、「桜生(さくらばさま)史跡公園」として整備されて、公園内には6世紀前半に築造されたと言われる、「円山古墳」「甲山古墳」と呼ばれる二つの円墳と「天王山古墳」という前方後円墳が隣接して造られています。


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さて、「円山古墳」は6世紀初頭に築造されたと言われ、西側に開口した横穴式石室を備えています


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また「甲山古墳」は6世紀前半に造られたと言われ、これも西側に開口した横穴式石室を備えています。


また、石室に納められた石棺は、両方とも九州熊本産の「阿蘇ピンク石」が使用された刳抜き式家形石棺です。

10imasirozuka42_2 この石材「阿蘇ピンク石」は継体天皇の陵墓と言われる「今城塚古墳」の発掘調査でも確認されている石棺石材の一つです。



また、朝鮮半島に関係のある副葬品や馬具・武具の破片が出土しています。

これらのことから被葬者は大和政権と深い関わりがあり、九州や朝鮮半島とも関わった武人ではないかと言われています。

一説には「安国造」一族の墓と言われていますが、一部には「磐井の乱」によって朝鮮半島への派兵を阻止され、後に朝鮮半島に派遣された軍司令官「近江毛野臣」の墓ではないかと考える人もいます。

所在地については下記の地図をご参照ください。

桜生史跡公園
JR野洲駅下車 北東へ約2.5キロ
国道8号および旧中山道沿い

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2007年4月13日 (金)

物部氏と穂積氏

今から1500年前に即位した「継体天皇」の時代は、朝鮮半島での各国との勢力争いが大きな問題であったと言われています。

朝鮮半島は日本から見て一番近い大陸文化や資源の渡来経由地として重要な位置に在ったようです。
この朝鮮半島南端部の中で日本に近く、友好的な地域が「伽耶(かや)」または「任那(みなま)」と呼ばれた地域だそうです。
昔は日本の植民地のように言われていましたが、現在では西を「百済」、東を「新羅」に挟まれた小さな国の連合体で、常に周辺国から圧力を受けていて、その外圧のバランスから独立した地域として成り立っていたと言われています。

「日本書紀」によれば、「継体天皇」の時代において、朝鮮半島問題に大きく関わった人物として「穂積臣押山(ほづみのおみおしやま)」が登場します。

Isonokamizinzya11_1 「穂積氏」は大和国山辺郡穂積邑に起きた氏族と言われ、現在の奈良県天理市あたりだそうです。
この地には、「物部氏」の祖が祀られている「石上神社」がありますが、「穂積氏」も「物部氏」と同じ祖を持つ同族で在ったと言われています。

「日本書紀」には「日本武尊(やまとたけるのみこと)」を助けるために海に入水して嵐の海を鎮めた妻として「弟橘媛(おとたちばなひめ)」が登場しますが、この媛は「穂積臣忍山宿禰(ほづみのおしやますくね)」の子だと書かれています。

なお、苗字の中で「佐藤氏」と並んで多い「鈴木氏」は、幾つかの系統に分かれるそうですが、この中の最大の系統は熊野新宮地域から生まれた「穂積氏」の流れを受け継ぐ「熊野鈴木氏系統」とされ、熊野神社の神官を務めていた「鈴木一族」が全国に広がったと言われています。
熊野地方では積まれた稲穂を「すすき」或いは「すずき」と言い、これに当て字して「鈴木」の苗字が生まれたそうです。

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