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2007年4月13日 (金)

物部氏と穂積氏

今から1500年前に即位した「継体天皇」の時代は、朝鮮半島での各国との勢力争いが大きな問題であったと言われています。

朝鮮半島は日本から見て一番近い大陸文化や資源の渡来経由地として重要な位置に在ったようです。
この朝鮮半島南端部の中で日本に近く、友好的な地域が「伽耶(かや)」または「任那(みなま)」と呼ばれた地域だそうです。
昔は日本の植民地のように言われていましたが、現在では西を「百済」、東を「新羅」に挟まれた小さな国の連合体で、常に周辺国から圧力を受けていて、その外圧のバランスから独立した地域として成り立っていたと言われています。

「日本書紀」によれば、「継体天皇」の時代において、朝鮮半島問題に大きく関わった人物として「穂積臣押山(ほづみのおみおしやま)」が登場します。

Isonokamizinzya11_1 「穂積氏」は大和国山辺郡穂積邑に起きた氏族と言われ、現在の奈良県天理市あたりだそうです。
この地には、「物部氏」の祖が祀られている「石上神社」がありますが、「穂積氏」も「物部氏」と同じ祖を持つ同族で在ったと言われています。

「日本書紀」には「日本武尊(やまとたけるのみこと)」を助けるために海に入水して嵐の海を鎮めた妻として「弟橘媛(おとたちばなひめ)」が登場しますが、この媛は「穂積臣忍山宿禰(ほづみのおしやますくね)」の子だと書かれています。

なお、苗字の中で「佐藤氏」と並んで多い「鈴木氏」は、幾つかの系統に分かれるそうですが、この中の最大の系統は熊野新宮地域から生まれた「穂積氏」の流れを受け継ぐ「熊野鈴木氏系統」とされ、熊野神社の神官を務めていた「鈴木一族」が全国に広がったと言われています。
熊野地方では積まれた稲穂を「すすき」或いは「すずき」と言い、これに当て字して「鈴木」の苗字が生まれたそうです。

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