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2007年5月29日 (火)

継体天皇と六呂瀬山古墳

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「六呂瀬山古墳群」は「九頭竜川」が坂井平野に流れ込む入口の右岸山稜にある古墳群で、対岸の左岸山稜には「手繰ヶ城山古墳」や「二本松山古墳」がある「松岡古墳群」があります。

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さて、「六呂瀬山古墳群」の中で最大の物は5世紀初めに造られたと言われる「六呂瀬山古墳1号墳」です。
この古墳は標高196mの「六呂瀬山」の山稜に川原石を葺石とした全長140m、後円部径85mの前方後円墳ですが、山稜部の松林の中にあるため、あまり目立ちません。


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1号墳に隣接している4世紀末に造られたと言われる「3号墳」(全長90mの前方後円墳)は、昭和50年代に道路建設で保存問題が起こり、古墳の下にトンネルを造ることで保存されることになったそうです。
そのほか、周辺には陪塚とされる方墳が数基確認されています。

これらの古墳は明治時代から数回発掘が行われて、家型埴輪などの埴輪が確認されていますが、明治期に何回か盗掘にあているようです。


Rokurosekofun41 この「六呂瀬山古墳群」(山腹にある青い橋の上部)がある山稜の麓、下久米田地区には「継体天皇」の即位に関わった大連「大伴金村」を祀る「久米田神社」があります。

これらの「六呂瀬山古墳群」は丸岡城周辺の平地や山稜部にある大小の古墳とを合わせて「丸岡古墳群」とも言われるそうです。


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これらの古墳は「日本書紀」に記されている「継体天皇」の母「振姫」の故郷「高向(たかむく)」、旧高椋(たかぼこ)村で現在の福井県坂井市丸岡町高田(高向神社がある)近郊にあることから「振姫」の祖先および一族の墓ではないかと言われています。


Rokurosekofun23 なお、「六呂瀬山古墳群」は平成19年度から登山道などの整備工事が進められることから立ち入りが禁止されています。
(上記の古墳の写真は立ち入り禁止前に撮った物です)



「六呂瀬山古墳群」については「六呂瀬山古墳を愛する会」ホームページもご参照ください。

「六呂瀬山古墳群」の所在地については下記の地図をご参照ください。

福井県坂井市松岡町下久米田・上久米田

北陸道丸岡インターから車で約15分、国道364号線沿い

バスの場合は
本丸岡から永平寺行き上久米田または竹人形の里前下車
徒歩30分(国道364号は大型トラックも多いので注意が必要です)
バスの時刻表は「京福バス」のホームページをご参照ください。

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2007年5月23日 (水)

継体天皇と高向神社

日本書紀によれば、継体天皇は父の死後、母「振姫」の故郷「高向(たかむこ)」で幼青年期を過ごしたと書かれています。
また、「釈日本記」には「多加牟久村(たかむくむら)」と書かれています。

Takadatikou21 この「高向」或いは「多加牟久村」は現在の福井県坂井市丸岡町高田付近にあったと言われています。


この地は「旧丸岡町」に合併する前までは「高椋(たかぼこ)村」にありました。
「高椋」は「たかむこ」が訛ったものといわれ、現在も小学校や郵便局・集会所などにこの名前が残っています。

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この高田地区には昔、継体天皇の母「振姫」の父「ヲハチノキミ」を祀っていたといわれる式内社「高向神社」がありました。

この神社は延喜式にも記載され、斉藤與次兵衛氏の著書「継体天皇ご発祥に関する研究」によれば、現在の高田地区の北方200m「古堂様(ふるどさま)」と呼ばれる畑地にあったそうです。

近くには「油為頭(あぶらためとう)」の「塚」と呼ばれる高さ3m・直径10mぐらいの円墳状の岡があり、40センチ四方の笏谷石で出来た礎石らしい石が残されていました。
周辺地域からは須恵器破片や土師器片・古銭などが出土したそうです。

Maruokazyousekikan21 また、北西1キロの「牛ヶ島」地区からは石棺が発見されていて、現在「丸岡城」天守近くの広場に展示されています。この石棺を「振姫」の棺と考えている人もいるそうです。



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その他、南東に約3キロ離れた下久米田地区には「大伴金村」を祀った「久米田神社」があり、この神社の北東の山稜には「振姫」一族の祖先の墓と言われる「六呂瀬山古墳」があります。

このようなことから、この「高田」地区周辺が式内社「高向神社」だけでなく「振姫のふるさと」地ではないかと考えられるそうです。

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明治19年に荒廃した式内社「高向神社」が丸岡城近くにある「国神神社」に合祀されました。
現在、高田地区の中心部には笏谷石で出来た小さな祠の横に昭和55年に再建された「高向神社」が建てられています。



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また、周辺は高速道路と美しい水田に整備され、北方には「明章小学校」が建てられていて昔の面影はなくなっています。

「高田」地区へは

車の場合
北陸道丸岡インターを下りて丸岡中心部から約4.5キロ

バスの場合
京福バス「本丸岡」から
「松岡駅」行き「四ッ柳」下車徒歩10分
「永平寺」行き「板倉」下車徒歩10分
なおバス時刻表は「京福バス」のホームページをご参照下さい。


詳しくは下記地図をご参照下さい。

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2007年5月20日 (日)

継体天皇が練り歩いた三国祭り

北陸三大祭りに数えられている「三国神社」の春の例祭「三国祭り」は中日の山車巡行が行われました。

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明治時代に現在の「三国神社」に合祀された「水門宮(みなとぐう)」から伝わる「舟御輿」(継体天皇を祀る)のほかに、今年は「継体天皇即位1500年」を記念して、5台の武者人形の山車に混じって「継体天皇」の山車が三国の街を練り歩きました


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そのほか、「継体天皇」に関する資料も展示されていて、「舟御輿」が伝わっていた「水門宮」が九頭竜川河口近くにあった高台「愛宕山」に建てられていた事や現在の「中央保育所」(南本町4丁目)付近にあったことがわかります。

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2007年5月17日 (木)

松岡古墳群と継体天皇

1500年前に即位した第26代継体天皇が幼青年期を過ごしたと言われる「越の国坂中井」、現在の福井県坂井市周辺には多くの古墳が点在しています。
考古学者によれば、大きく3つの地域に分かれていて九頭竜川右岸にある「六呂瀬山古墳群」(丸岡周辺の古墳も含めて「丸岡古墳群」とも言う)と左岸にある「松岡古墳群」そして竹田川右岸にある「横山古墳群」です。
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この地域を支配したであろう「王」の墓「大首長墓」とされる「前方後円墳」を古い順に挙げると
4世紀中頃の「手繰ヶ城古墳」129m(松岡)
4世紀末頃の「六呂瀬山1号古墳」140m(六呂瀬)
5世紀初め頃の「六呂瀬山3号古墳」90m(六呂瀬)
5世紀前半の「鳥越山古墳」54m(松岡)
5世紀中頃の「石船山古墳」79m(松岡)
5世紀末頃の「二本松山古墳」89m(松岡)
6世紀初め頃の「椀貸山古墳」45m(横山)
6世紀中頃の「神奈備山古墳」60m(横山)
となります。

この内で4世紀から5世紀の古墳は、継体天皇の母「振姫」や「振姫」の父「ヲハチノキミ」の祖先或いは一族の墓ではないかと推測されていそうです。

Yokoyamakofungun33 また、6世紀の「椀貸山古墳」や「神奈備山古墳」がある「横山古墳群」は継体天皇の皇子「椀子皇子」或いはこれを祖先とする「三国公や三国真人」一族の墓ではないかと推測されています。

そして、一部の研究者の中には5世紀末頃とされる「二本松山古墳」が「振姫」の墓ではないかと推測する人もいます。
この「二本松山古墳」からは朝鮮半島の影響を受けた「金」と「銀」にメッキされた2つの冠が出土しており、多くの副葬品と共に東京国立博物館に収蔵されているそうです。

さて、これらの古墳のほとんどが山腹や山稜に造られているために、古墳の存在や大きさを実感することは地元の人でも少ないようです。
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そこで3つの古墳群の中で一番整備が行われている「松岡古墳群」を見学するコースをご紹介しましょう。
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「松岡古墳群」は「九頭竜川」が坂井平野に流れ込む入口の左岸の山稜に点在しています。

Matuokakofungun33 所在地は福井県吉田郡永平寺町(旧松岡町・永平寺町)です。





Matuokakouen_11 登り口は2箇所あり、一つは「石船山古墳・鳥越山古墳・二本松山古墳」などの登り口で「永平寺町松岡室」にある「松岡公園」です。




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「松岡小学校」横の上り坂から始まる公園入口の上り坂途中に「春日山古墳跡」があります。
現在は広場奥に復元石室と出雲の影響を物語る横口式舟形石棺が展示されています。
また、広場には変電所の造成などで破壊された「泰遠寺山古墳」(公園の西1キロの芝原地区)にあった舟形石棺が展示されています。

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さらに登って公園上部のある貯水タンクとトイレの横に古墳を回る登山道の案内看板があります。
ここから少し急な階段状の登山道を登ると芝生で整地された「乃木山古墳」に着きます。

Mituminesanzyou11 林の中に延びる道を登っていくとあまり目立たないが山稜に造られた円墳や方墳の跡がある所に達します。この先に2箇所ある急な上り階段を登ると「三峰山城跡」の西端に至ります。
戦国時代に築かれた山城の堀跡を過ぎてしばらく行くと休憩所があります。ここあたりでコースの中間地点です。


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道は一端下って、長い階段状の急坂を登ると小さな石の観音像が置かれている「石船山古墳」に達します。
このあと尾根沿いに多少上り下りしながら「鳥越山古墳」そして最上部の「二本松山古墳」に到着します。
ここまで約1.5キロ・徒歩1時間ぐらいです。

松岡公園・・・5分・・・乃木山古墳・・・(円墳)・・・20分・・・急な登り・・・西三峯山・・・5分・・・東三峯山・・・下り5分・・・急な登り10分・・・石舟山古墳・・・10分・・・鳥越山古墳・・・10分・・・二本松山古墳(標高273.1m)

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「二本松山古墳」は全長90mの前方後円墳で古墳全体が伐採されていて、天気が良ければ坂井平野から日本海まで一望することが出来ます。




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一方、「手繰ヶ城山古墳(てぐりがじょうやまこふん)」の登り口は「永平寺町志比堺」地区から入る林道沿いにある「第一駐車場」です。

Tegurigazyoukofun01 大型車や運転に自信のない方はここに駐車して、この先を左に行く林道を登って行きます。
未舗装の林道を約500m程登ると「第二駐車場」(軽自動車はここまで行ける)に至ります。


Tegurigazyoukofun04 ここから右側にある遊歩道入口から約500m、徒歩で約15分で山稜にある古墳に着きます。




Tegurigazyoukofun11 古墳は全長129mの前方後円墳で半分が伐採されていて坂井平野を一望することが出来ます。





「松岡古墳群」については「まつおか散策まっぷ」というホームページの中の「古代の宝箱 松岡古墳群」などをご参照ください。


それぞれの古墳までのコースは下記の地図をご参照ください。

「松岡公園」
車の場合
北陸道「福井北インター」から国道416号で旧松岡町内へ
徒歩の場合
えちぜん鉄道「松岡駅」下車徒歩10分

「手繰ヶ城山古墳第一駐車場」
車の場合
北陸道「福井北インター」から国道416号で約3.5キロ
「志比堺」地区の案内看板付近を右折し地区内へ
徒歩の場合
えちぜん鉄道「志比堺駅」下車徒歩5分

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2007年5月13日 (日)

継体天皇と三国祭り

Mikunizinzya11_4 5月19日から21日の三日間、三国神社の春例祭「三国祭」が催されます。

12・13日の両日には今年の山車当番区で山車の「渡り初め」が行われ、祭り本番に向けて準備が順調に進んでるそうです。

「三国祭」は北陸三大祭りの一つに数えられ、中日の20日には18基ある山車の中から当番区の6基が正午に神社に集合して奉納され、午後1時から街中を巡行します。

この山車の巡行は江戸時代中期頃から始まったようです。

さて、この巡行には、大山咋神(おおやまぐいのかい)を祀った大御輿と共に「継体天皇」を祀った「舟御輿」が同行します。

Kuzuryuukakou11_2 この「舟御輿」は九頭竜川河口「銚子口」を切り開いた「継体天皇」を祀って、河口近くに建てられた「水門(みなと)神社」に伝わった「舟御輿」です。

明治初めに「水門神社」が後の「三国神社」に合祀されて、いまに至っています。

今年は「継体天皇即位千五百年記念」として、三国祭保存振興会が「継体天皇」の山車を作り、当日は六番山車として巡行するそうです。

なお、今年は14日(月)と16日(水)に山車の特別公開が今年の当番区の山車保管倉庫で午前10時から午後2時まで行われるそうです。詳しくは三国祭保存振興会事務局にお問い合わせ下さい。


「三国祭」についての詳しい情報は「三国祭保存振興会」のホームページをご参照ください。

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2007年5月11日 (金)

継体天皇と三国神社

Mikunizinzya11_3 5月19日から北陸三大祭りに数えられる「三国神社」の例祭が始まります。

「三国神社」は坂井平野を流れる大河「九頭竜川」の河口「銚子口」を開いたとして、地元の人たちに親しまれている「継体天皇」を祀る神社です。

毎年、春の例祭の中日(20日 1時から)には武者などを形作った6基の大きな山車や「舟御輿」(継体天皇が祀られている)が町中を練り歩きますが、今年は「継体天皇即位千五百年記念」として「継体天皇」を形作った大きな山車も参加するそうです。

「三国神社」がある三国地域は「継体天皇治水伝承」や「離宮伝承」が多く残るほか、継体天皇の妃「倭媛」の子「椀子皇子」を祖先とする「三国公・三国真人」一族が広く住んでいた所でもあります。

その中で治水工事の為に離宮を設けたと伝わる「池上」地区には「大屋敷山」や「堂池谷田」・「王馬家畑」・「皇子池」などの継体天皇離宮跡に因んだ地名が残されているそうです。
現在はそれぞれの場所に標柱が建てられています。
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Img_8236 また、「嵩(たけ)」地区には治水工事の成功祈願をしたと伝わる「湊別神社」があります。




Osima11_5 そして岬の先端にある「安島」地区の「雄島」には祖先である三保大明神(三尾氏)を祀った「大湊神社」が在ります。
この神社は「三尾氏」の祖「磐衝別命(イワツキワケノミコト)を祀っていたとも言われています。


そのほかにも多くの「継体天皇」関連の伝承地や神社があるそうです。

関連する他の神社については、このブログの過去の記事「継体天皇についての伝承地(4) 坂井市三国町」をご参照ください。

なお、丘の上に建つ「みくに龍翔館」(資料館)を見学すれば、もっと「三国」について知ることが出来ると思います。

ここで、継体天皇伝承地の一部を回るコースをご紹介しましょう。
コースはえちぜん鉄道「三国神社駅」を出発して、「三国神社」
「東尋坊」「雄島」「湊別神社」「池上地区」を経て「あわら湯の町駅」に至るコースです。
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距離や時間的問題があるので、「車」或いは「自転車」が最適です。

徒歩の場合は「えちぜん鉄道」や「京福バス」をご利用ください。
京福バスは「三国駅」から「東尋坊」「安島(雄島)」「松島」「平山」などを経由して「芦原湯町駅」さらに「JR芦原温泉駅」に至る路線が約1時間に1本ぐらいの間隔で運行しているようです。バスの時刻については「京福バス」のホームページをご覧下さい。

「車」の場合は北陸道「金津インター」或いは「丸岡インター」にて「芦原・三国」方面へ向かってください。

自転車の場合はJR北陸本線や「JR福井駅」東口から「えちぜん鉄道」を利用した「輪行」になると思います。
なお、「えちぜん鉄道」では日祭日限定で自転車をそのまま乗せられる「サイクルトレイン」を運行しています。

コースの概要については下記の地図等をご参照下さい。

参考距離

三国神社駅から三国神社  約1キロ
三国神社から東尋坊     約5キロ
三国神社から三国駅     約1.5キロ
東尋坊から雄島       約2.5キロ
雄島から嵩(湊別神社)   約4キロ
嵩から平山          約1キロ
平山から池上         約1.5キロ
池上から芦原湯町駅    約2.5キロ

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池上地区
1 伊伎神社
2 大屋敷山
3 堂池谷田
4 王馬家畑
5 皇子池
6 湊別神社

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2007年5月 5日 (土)

継体天皇と万葉ロマン 味真野(2)

福井県越前市は越前国の国府が置かれた街で、一時期「紫式部」も滞在したところです。
また、市内から南東部へ約5キロ行った山里には古代の歌集「万葉集」の中にも歌われている「味真野」と呼ばれる地域があります。

万葉集には

「味真野に 宿れる君が帰りこむ 時の迎えを 何時(いつ)とか待たむ」

と歌われていて、この歌は都から「味真野」へ流刑にされた中臣宅守(なかとみのやかもり)と 都で宅守を思う狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)が交わした歌「相聞歌」の一つです。

さて、この「味真野」には千五百年前に即位した「継体天皇」が宮を設けて暮らしたとの伝承が残る地域でもあります。

今回はこの「味真野」をウォーキングするコースをご紹介しましょう。

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越前市にはJR北陸本線「武生駅」で下車し、バスで「池田」「五分市」方面行きに乗ります。ただ、本数が少ないので注意が必要です。

また、車の場合は北陸道「武生インター」で下りて南東へ約4キロです。


Azimanoen12 さて、出発地はいろいろ考えられますが、今回は謡曲「花筺」の記念碑がある「越前の里 味真野苑」から出発することにします。




Rekisisiryoukan1 ここには「歴史資料館」や広い庭園があります。





Azimanozinzya11_4 また、隣接して「継体天皇」の宮跡とも言われる「味真野神社」があります。





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また、越前市の特産品「越前打刃物」の工房「ナイフビレッジ」や各種の菊が咲く「万葉菊花園」があります。



Gokouzinzya11_3 では、ここから約4キロ離れた谷間の文室地区奥にある継体天皇の学問所が在ったと言われる「五皇神社」へ向かいます。





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しかし、時間がない場合は校庭中央に大きな桜の木がある「味真野小学校」を通り平家一門の菩提寺で美しい「庭園」がある「城福寺」へ向かいます。(約1.2キロ))



Gousyouzi22_1 「城福寺」から真宗出雲路派本山「毫攝寺(ごうしょうじ)」に寄ります。(約800m)




Azimanomagarinosato11_5 「毫攝寺」から継体天皇の第一皇子「勾大兄皇子(まがりのおおえのおうじ)」の誕生地と言われる真柄地区の「勾の里」記念碑に向かいます。(約700m)



Higumanosato1_2 続いて、継体天皇の第二皇子「檜隈皇子」の誕生地と言われる「檜隈(ひくま)の里」にある「徳間」地区の公民館に建つ記念碑を見学します。(約400m)



Komaruzyou1 「檜隈の里」から戦国時代の城跡「小丸城」へ向かいます。(約700m)





Nonomiyahaizi1_1 ここから看板案内に従い、細い林の小道に入ると「野々宮廃寺跡」に至り、小道をさらに進み「弘願寺」の横を抜けて「城福寺」に戻ります。(約500m)




「城福寺」から出発地の「味真野苑」へ戻ります。(約1.2キロ)



なお、回る順番はいろいろ考えられますので下記の地図をご参照ください。

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2007年5月 4日 (金)

継体天皇と万葉ロマン 味真野(1)

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古代の歌集「万葉集」の舞台地であり、「継体天皇」の伝承も残る福井県越前市味真野地域では、恒例の「あじまの万葉まつり」が開催されました。

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そして、祭り二日目には万葉時代の衣装を着た行列が街中を練り歩く「万葉行列」が行われました。

Keitaizou22_2 この行列には謡曲「花筺(はながたみ)」の舞台地であることに因んで話の中に登場する「継体天皇」と「照日の前」の行列も参加しました。




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味真野地域には、昔から継体天皇がこの地に宮を設けて暮らしていとの伝承があり、継体天皇の第一皇子「勾大兄皇子(後の安閑天皇)」や第二皇子「檜隅皇子(後の宣化天皇)」の誕生地との伝承が残る地、そして継体天皇が学問を教わった「学問所」の伝承が残る地などがあります。

Azimanozinzya11_3 Azimanomagarinosato11_3Gokouzinzya11_2

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2007年5月 2日 (水)

継体天皇が育った故郷を旅する 坂井市丸岡町

Asuwayamakeitaizou11_5 今から1500年前、西暦507年に第26代継体天皇が樟葉宮で天皇に即位したと古代の歴史書「日本書紀」に書かれています。

「日本書紀」によれば、継体天皇は近江国高島郡三尾、今の滋賀県高島市安曇川地域で生まれましたが、幼いときに父「彦主人王」と死に別れて、母「振姫」の実家である越前国坂井郡高向、現在の福井県坂井市丸岡地域に育ったと記しています。

ここで、継体天皇が育ったとされる丸岡地域に残る「継体天皇伝承地」を回るウォーキングコースをご紹介しましょう。

福井県坂井市丸岡地域へはJR北陸本線の「福井駅」或いは「芦原温泉駅」から「本丸岡」行きの京福バスに乗ります。
バスの終着「本丸岡」は坂井市丸岡総合支所近くにあります。
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一方、車で来られる場合は、北陸道丸岡インターで下りて丸岡の街に入ります。


継体天皇の伝承地は丸岡城を中心に半径5キロの範囲に点在しています。
今回はウォーキングに適したコースとして、丸岡城或いは国神神社を出発して北側半分を回るルートご紹介しましょう。

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継体天皇伝承地めぐり
丸岡北部コース(約11キロ)
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1国神神社・・・300m・・・2丸岡城
2丸岡城・・・3キロ・・・3わんかし山古墳(和興)
3わんかし山古墳・・・700m・・・4横山神社
4横山古墳・・・2キロ・・・5女形谷パーキングエリア
5女形谷PA・・・800m・・・6てんのう堂
6てんのう堂・・・500m・・・7白山神社
7白山神社・・・2キロ・・・8霞の郷(温泉)
8霞の郷・・・2キロ・・・9 丸岡城

Wankasiyamakofun22_1 Yokoyamakofungun22_1 Onagadani01






参考までに今回のルートから外れた南側にある「高向神社」「久米田神社」までの距離を記しておきます。

Takamukuzinnzya1_4 丸岡城・・・4.5キロ・・・高向神社





Kumedazinzya11_3 高向神社・・・3キロ・・・久米田神社






以上を参考にして丸岡地域の継体天皇伝承地めぐりを楽しんで下さい。

伝承についてはこのブログの過去の記事「継体天皇の故郷を訪ねる旅(1)坂井市丸岡町」をご参照下さい。

また、バスの時刻については「京福バス」のホームページをご参照下さい。


なお、丸岡城を出発して伝承地の全地点を回ると22キロぐらいになります。すべてを回るには徒歩よりも自転車または車の方が良いでしょう。
下記の参考地図をご参照ください。
Maruokatizu777_2

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