継体天皇と六呂瀬山古墳
「六呂瀬山古墳群」は「九頭竜川」が坂井平野に流れ込む入口の右岸山稜にある古墳群で、対岸の左岸山稜には「手繰ヶ城山古墳」や「二本松山古墳」がある「松岡古墳群」があります。
さて、「六呂瀬山古墳群」の中で最大の物は5世紀初めに造られたと言われる「六呂瀬山古墳1号墳」です。
この古墳は標高196mの「六呂瀬山」の山稜に川原石を葺石とした全長140m、後円部径85mの前方後円墳ですが、山稜部の松林の中にあるため、あまり目立ちません。
1号墳に隣接している4世紀末に造られたと言われる「3号墳」(全長90mの前方後円墳)は、昭和50年代に道路建設で保存問題が起こり、古墳の下にトンネルを造ることで保存されることになったそうです。
そのほか、周辺には陪塚とされる方墳が数基確認されています。
これらの古墳は明治時代から数回発掘が行われて、家型埴輪などの埴輪が確認されていますが、明治期に何回か盗掘にあているようです。 この「六呂瀬山古墳群」(山腹にある青い橋の上部)がある山稜の麓、下久米田地区には「継体天皇」の即位に関わった大連「大伴金村」を祀る「久米田神社」があります。
これらの「六呂瀬山古墳群」は丸岡城周辺の平地や山稜部にある大小の古墳とを合わせて「丸岡古墳群」とも言われるそうです。
これらの古墳は「日本書紀」に記されている「継体天皇」の母「振姫」の故郷「高向(たかむく)」、旧高椋(たかぼこ)村で現在の福井県坂井市丸岡町高田(高向神社がある)近郊にあることから「振姫」の祖先および一族の墓ではないかと言われています。 なお、「六呂瀬山古墳群」は平成19年度から登山道などの整備工事が進められることから立ち入りが禁止されています。
(上記の古墳の写真は立ち入り禁止前に撮った物です)
「六呂瀬山古墳群」については「六呂瀬山古墳を愛する会」ホームページもご参照ください。
「六呂瀬山古墳群」の所在地については下記の地図をご参照ください。
福井県坂井市松岡町下久米田・上久米田
北陸道丸岡インターから車で約15分、国道364号線沿い
バスの場合は
本丸岡から永平寺行き上久米田または竹人形の里前下車
徒歩30分(国道364号は大型トラックも多いので注意が必要です)
バスの時刻表は「京福バス」のホームページをご参照ください。