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2007年5月23日 (水)

継体天皇と高向神社

日本書紀によれば、継体天皇は父の死後、母「振姫」の故郷「高向(たかむこ)」で幼青年期を過ごしたと書かれています。
また、「釈日本記」には「多加牟久村(たかむくむら)」と書かれています。

Takadatikou21 この「高向」或いは「多加牟久村」は現在の福井県坂井市丸岡町高田付近にあったと言われています。


この地は「旧丸岡町」に合併する前までは「高椋(たかぼこ)村」にありました。
「高椋」は「たかむこ」が訛ったものといわれ、現在も小学校や郵便局・集会所などにこの名前が残っています。

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この高田地区には昔、継体天皇の母「振姫」の父「ヲハチノキミ」を祀っていたといわれる式内社「高向神社」がありました。

この神社は延喜式にも記載され、斉藤與次兵衛氏の著書「継体天皇ご発祥に関する研究」によれば、現在の高田地区の北方200m「古堂様(ふるどさま)」と呼ばれる畑地にあったそうです。

近くには「油為頭(あぶらためとう)」の「塚」と呼ばれる高さ3m・直径10mぐらいの円墳状の岡があり、40センチ四方の笏谷石で出来た礎石らしい石が残されていました。
周辺地域からは須恵器破片や土師器片・古銭などが出土したそうです。

Maruokazyousekikan21 また、北西1キロの「牛ヶ島」地区からは石棺が発見されていて、現在「丸岡城」天守近くの広場に展示されています。この石棺を「振姫」の棺と考えている人もいるそうです。



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その他、南東に約3キロ離れた下久米田地区には「大伴金村」を祀った「久米田神社」があり、この神社の北東の山稜には「振姫」一族の祖先の墓と言われる「六呂瀬山古墳」があります。

このようなことから、この「高田」地区周辺が式内社「高向神社」だけでなく「振姫のふるさと」地ではないかと考えられるそうです。

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明治19年に荒廃した式内社「高向神社」が丸岡城近くにある「国神神社」に合祀されました。
現在、高田地区の中心部には笏谷石で出来た小さな祠の横に昭和55年に再建された「高向神社」が建てられています。



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また、周辺は高速道路と美しい水田に整備され、北方には「明章小学校」が建てられていて昔の面影はなくなっています。

「高田」地区へは

車の場合
北陸道丸岡インターを下りて丸岡中心部から約4.5キロ

バスの場合
京福バス「本丸岡」から
「松岡駅」行き「四ッ柳」下車徒歩10分
「永平寺」行き「板倉」下車徒歩10分
なおバス時刻表は「京福バス」のホームページをご参照下さい。


詳しくは下記地図をご参照下さい。

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コメント

本日、福井新聞に継体天皇の磐余遷都についての私のコメントが出ました
http://www.fukuishimbu.co.jp/keitai/kiji/
またその内容の補足を以下で行っています
http://blogs.yahoo.co.jp/zenikinnyama/4726882.html

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