« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

2007年6月15日 (金)

継体天皇と足羽山古墳群

Asuwayamaennkei21 福井市中心部の足羽川左岸に連なる標高116mの「足羽山」は、山稜が公園として整備されて15000株の「あじさい」が咲き誇る福井市民の憩いの場となっています。



Asuwayamasyuhentizu4444
















Asuwazinzya11_3 Asuwayamakeitaizou11_6








この「足羽山」には「継体天皇」を祀る「足羽神社」や「継体天皇像」のほかに、前方後円墳1基・円墳32基などの多くの古墳が点在していて、「足羽山」に隣接した「兎越山」「八幡山」を含めた「足羽三山」周辺を「足羽山古墳群」と呼び、継体天皇と関わりを持ったであろう古代の豪族「足羽氏」一族の墓とも言われています。

古くは「木田山」や「愛宕山」或いは「社山」・「善住山」などと呼ばれ、庶民の園地となっていましたが、明治には入り「足羽山」と一般的に呼ばれるようになったようです。
また、大規模な整地も行われ、その際に石棺なども発見されましたが多くの古墳が破壊されました。

戦後も開発が進み、幾つかの古墳の発掘調査が行われたものの消失した物も多いようです。

Asuwayamakanban222
















Santyouyamakofun21 現在、「継体天皇像」が建っている「山頂古墳」は明治16年に像を建設する際に竪穴式石室と石棺が発見されました。




Img_084803_2 この石棺はすでに盗掘されていましたが、表面に「直弧文」の線刻が施された4世紀中頃の装飾石棺だそうです。

石棺の石材は足羽山西側山麓域で産出する「笏谷石」で、舟形をしています。(石棺は福井市立郷土歴史博物館で展示)

また、古墳は円墳(直径60m・高さ10m)らしいのですが公園整備の際に相当成形されているようなので、本当に二段状だったかも不明だそうです。


Syakudnizinzya11_1 装飾石棺は足羽山西部北側尾根端にある「笏谷神社」付近にあった「小山谷古墳」でも発見され、この石棺は蓋に円形の銅鏡を略化したような「浮彫文」の装飾がある4世紀末の石棺と言われています。
(石棺は東京国立博物館東洋館前の軒下で雨ざらし状態にあるらしい。事実ならば福井県で引き取った方が良いのではないでしょうか。)


Img_084902_1 また、「山頂古墳」の北側斜面には「龍ヶ岡古墳」がありました。
この古墳からは笏谷石で造られた家型石棺を盛り土した土台に置き、直接覆土形成した4世紀末の円墳(約30m)ではないかと言われています。
この石棺は江戸時代(文政2年)に発見され、男女2体の遺体が納められていました。
その後、供養の為に石棺の周りに基壇を造って地蔵堂を建立しました。
しかし、空襲で地蔵堂は消失し、調査ののちに「復興博覧会」の会場として整地されてしまったそうです。(石棺は福井市立郷土歴史博物館で展示)

その他、「足羽山」西部西側山稜の「宝石山」では墓地造成の際に男女2体を納めた舟形石棺が出土し、これも円墳だと推測されています。


Manzyuuyamakofun21 Manzyuuyamakofun22 また、西部南側尾根端には横穴式石室を持つ円墳「饅頭山古墳」があります。
この古墳は「運動公園」から「足羽山」に延びる遊歩道の足羽山入口尾根にあり、綺麗に整備されて公園の一部としてその姿を留めています。


なお、前方後円墳は古墳時代中期の「柄鏡(えかがみ)塚古墳」(約61m)のほかに兎越山の「兎越山18号墳」(36m)が確認されています。

Inariyamakofun22 その他にも首長墳と思われる円墳として「稲荷山古墳跡」(約30m・現在の平和塔)や「大塚山古墳」(約54m)「兎越山24号墳」(36m)があるそうです。



Inariyamakofun23 また、小規模の円墳なども多く点在し、平和塔の近くの茶屋付近にもその痕跡を見ることが出来ます。




Img_084506 これらの古墳から発見された石棺や副葬品の一部は福井市立郷土歴史博物館や福井県立歴史博物館に展示されています。




下記の写真は福井市立郷土歴史博物館(福井市宝永3丁目12-1)の展示風景です。
Img_084902 Img_084803 Img_084605 Img_084704福井市立郷土歴史博物館」の場所および開館時間等については同ホームページをご参照下さい。


下記の写真は福井県立歴史博物館(福井市大宮2丁目19-15)の展示風景です。
Img_231605 Img_232001 Img_231902 Img_231704福井県立歴史博物館」の場所および開館時間等については同ホームページをご参照ください。





足羽山へはJR北陸本線「福井駅」から徒歩約30分です。

車では北陸道「福井インター」から市内へ向かってください。
山上まで普通車(大型車不可)で行くことが出来ます。(約20分)
Asuwayamatizu5555

続きを読む "継体天皇と足羽山古墳群" »

2007年6月 6日 (水)

継体天皇と横山古墳群

Yokoyamakofungun43 「横山古墳群」は竹田川右岸の「福井県坂井市丸岡町坪江地区」から市境を越えて「あわら市瓜生・中川地区」に横たわる山稜を中心に広がる北陸最大級の古墳群で、6世紀初めから中頃にかけて繁栄した一族の墓と言われています。


Yokoyamakofuntizu222_1

Yokoyamakofungun41_1













この古墳群は前方後円墳が15基、方墳が59基、円墳が160基の合計234基確認され、代表的な古墳は「椀貸山古墳(わんかし山古墳)」と「神奈備山古墳」です。

Wankasiyamakofun52 「椀貸山古墳」は丸岡町坪江地区の山稜に隣接する平坦地の工場敷地内にあり、墳長は約45m、高さ約6mの前方後円墳で6世紀初め頃の築造と言われ、昔は馬蹄形の周壕があったそうです。



Wankasiyamakofun31 Wankasiyamakofun21 Wankasiyamakofun25 Wankasiyamakofun42 Wankasiyamakofun24






Kannabiyamakofun22_1  一方、「神奈備山古墳」は「椀貸山古墳」から約100m北側の市境を挟んだ山稜(あわら市瓜生)にある古墳です。
墳長は約60m、高さ約7mの前方後円墳で6世紀中頃に築造されたと言われています。

両方の古墳ともに葺石があり、2段以上の階段状になっているそうです。

また、石室は九州の影響を受けた肥後式石屋形の横穴式石室が確認されているそうです。

この古墳群は継体天皇の皇子「椀子皇子(まろこのみこ)」を祖とする「三国公」・「三国真人」一族の墓と言われています。
また、「椀貸山古墳」は「椀子皇子」の墓とも伝承されています。

「椀貸山古墳」は国道8号「瓜生交差点」東側の工場敷地内の道側にあって、フェンス越しに古墳が確認できます。また、国道側から「ひょうたん」を半分に切ったような形を見ることが出来ます。(工場事務所で許可を得れば見学可能です)
Uryuukousaten21 Yokoyamakofungun42 Wankasiyamakofun51





「神奈備山古墳」は「椀貸山古墳」のある工場「和興」の北側100m付近の国道8号東側沿いの山稜部にあります。
正式な登り口は見あたりませんでしたが、「和興」と北隣の工場「ニシハタ繊維工芸」との間にある砂利道の林道を100mぐらい登った左手に雑木や草に覆われた細い谷道があり、ここを20m入ると左手正面に急斜面の杉林があります。
Kannabiyamakofun31 Kannabiyamakofun32 Kannabiyamakofun33 Kannabiyamakofun34 Kannabiyamakofun35 Kannabiyamakofun21_1




この斜面を登った山頂に「神奈備山古墳」の記念碑が建っています。(杉林を荒らさないように注意して下さい)
古墳の全容は杉林に囲まれていてはっきり見ることが出来ません。


Yokoyamazinzya21 「横山古墳群」の周辺には、「継体天皇」に関わりのある伝承地があります。
「椀貸山古墳」の東500mの山麓にある坪江集落には「継体天皇」を祀った「横山神社」があります。


Tennoudou21 また、坪江集落から南東に約1キロには「継体天皇」の宮跡があったと伝承される「女形谷(おながたに)」地区があり、都からの使者と初めて対面したとの伝承が残る「てんのう堂(天皇堂)」が集落の北西端の農道沿いの水田の一角にあります。


所在地については下記の地図をご参照下さい。


Maruokatizu1011_1

続きを読む "継体天皇と横山古墳群" »

« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »