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2007年9月21日 (金)

こしの都千五百年大祭「古浪漫回廊パレード」

Azimanokeitai11 今から1500年前に「樟葉宮」で即位された「継体天皇」に因んで各地で各種のイベントが実施されています。


秋を迎えて、即位前の「継体天皇」が幼青年期を過ごしたと言われる「福井県」でも伝承が伝わる地域で多くのイベントが行われます。


この中で、10月6日(土)に「越前国府」が置かれた「越前市」の継体天皇関係伝承地「味真野」と「粟田部」地域で「こしの都千五百年大祭 古浪漫回廊パレード」と言うイベントが開催されます。

Awatabe12 このイベントの中で「粟田部」地区で行われるパレードではこの地区に鎮座する「継体天皇」を祀る「岡太神社」の伝統行事「蓬莱祀(おらいし)」と「迹王の餅(どおのもち)」が特別に参加するそうです。


「蓬莱祀(おらいし)」は毎年2月に行われる「継体天皇」が「樟葉宮」で即位したことを祝うとともに五穀豊穣・無病息災を祈願する正月行事と伝えられています。
当日は繭玉などを飾りつけた山車を地域住民が引いて町内を巡行するそうです。

「迹王の餅(どおのもち)」は毎年10月13日に行われる「継体天皇」が「磐余玉穂宮」に遷宮したこと祝う行事だそうです。
当日「餅」を入れた大桶を御輿状にして住民たちが担いで神社に奉納し、翌日住民に「餅札」と交換に「餅」を配る行事だそうです。

イベント当日(10月6日)は受付をすれば一般の人も「蓬莱祀」の山車や古代船を模した山車を引くことができるそうです。
また、先着で「迹王の餅(どおのもち)」も無料配布されるそうです。

くわしくは「こしの都千五百年物語」のホームページをご覧ください。

また、そのほかのイベント開催については福井県の「継体天皇と越の国・福井県」のホームページをご覧ください。

「味真野」・「粟田部」地域については下記の地図をご参照ください。
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2007年9月14日 (金)

継体天皇と越前国府

Img_4294 今から約千年前、「源氏物語」の著者「紫式部」が一時期滞在したとされる「越前国府」が置かれた「旧武生市(現越前市)」は福井平野に流れ込む「日野川」の左岸中流域に位置し、「敦賀」から南条山地を越えて平野部に入る入口にあたります。
また、日本海に面した「河野・甲楽城」の古代から続く港にも近いことから、古代から交通・軍事面で重要な位置を占めていたとされています。


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古墳時代の初期から中期にかけては大和政権と係わりのあった豪族がこの日野川左岸地域をを支配していたと推測され、「日野川」左岸北西部にある「愛宕山古墳群」や「船山古墳群」・「岡本山古墳群」の山稜には中規模の前方後円墳が合わせて4基確認されています。
このうち、「船山古墳群」にはこの地域最大の全長51mの前方後円墳「船山1号墳」があります。

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Oomusizinzya21  この北西部地域は「大虫地域」と呼ばれる「吉野瀬川」支流「大虫川」の扇状地を中心とした地域で、「大虫川」上流部には延喜式に越前国で2社だけしかない「名神大社」と記された「大虫神社」があります。(もう1社は敦賀市の「気比神宮」)

Oomusihaizi21_2 また、「大虫川」下流の「吉野瀬川」合流域にある福井村田製作所駐車場中央付近(越前市大虫本町)には古代寺院「大虫廃寺」の跡があり、この地域を支配したとされる古代豪族「丹生氏」の寺ではないかと言われています。

この「丹生氏」については詳しいことは不明ですが、「継体天皇」が越国で青年期を過ごしたとされる5世紀終わり以降は、この地域で前方後円墳が確認されていないと言われることから「継体天皇」に係わる一族の支配下に入ったか、あるいは「継体天皇」が直接統治したのではないかと推測されます。

このことによって「継体天皇」は安全に南条山地を越えて琵琶湖東北部の「息長氏」や尾張平野を支配したとされる「尾張氏」との交流を深めたのではないかと想像されます。

時代が進み、律令制が確立して官道「北陸道」が整備されると、この地域には交通の拠点として役人に馬や宿舎を供給した「丹生駅」が設けられたと言われています。

Takamoriiseki22 また、「丹生郡」を治めた役所「丹生郡家」も設けられ、この施設の跡ではないかと言われる「高森遺跡」(越前市高森町陣屋第二公園)も発見されています。



Murasakisikibu11 なお、「武生の国府」という地名も登場する「源氏物語」を「紫式部」が書いてから来年(2008年)で1000年になるそうです。(「紫式部日記」の寛弘5年(西暦1008年)11月1日の記述に「源氏物語」が登場する)

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2007年9月 7日 (金)

酒生古墳群と御茸山古墳群

Img_4025 福井市の中心市街地を流れる足羽川の上流部、足羽川が山間部から福井平野に流れ込む入り口の右岸には「酒生(さこう)古墳群(成願寺山古墳群)」、そして左岸には「御茸山(みたけやま)古墳群」があります。



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「越前若狭 地域史の謎に挑む」(青木豊明 著)に拠れば、足羽川右岸にある「酒生古墳群(成願寺山古墳群)」は5世紀初めに造られた酒生古墳(墳長70m)の前方後円墳を筆頭にして前方後円墳4基と前方後方墳1基を含む4世紀から7世紀中頃にかけての古墳、約330基からなる北陸最大級の古墳群だそうです。


Img_4024 一方、対岸の「御茸山古墳群」は「御茸山」の山稜を中心に前方後円墳4基と前方後方墳1基を含む約160基から成る古墳群だそうです。




また、これらの古墳群は古代豪族「生江(いくえ)氏」一族の墓ではないかと推測されるそうです。

Img_3974 そして、酒生古墳群がある酒生地区の「篠尾町」には「生江」一族の寺ではないかと言われる古代寺院「篠尾廃寺」の跡があります。




この「生江」一族は古代から平安時代後期に至るまで木簡や古文書にその名前を残している一族で、中でも7世紀中頃に活躍した「生江臣東人」と言う人は都に上り「造東大寺司」に使えて東大寺荘園の開墾に関わったり、足羽郡大領となって東大寺に開墾田を寄進したことが古文書に記されているそうです。
また、地方豪族として異例の「従五位下」という高位に列せられています。

Wakezinzya11_2 なお、足羽川左岸の「御茸山古墳群」がある「御茸山」山麓には継体天皇の母「振姫」の先祖「伊波知和希命(いわちはけのみこと)」(磐衝別命の子)を祀る式内社「分(わけ)神社」(脇三ヶ町)や村社「大森神社」(南山町)があります。
このことから、「生江」一族は「振姫」と親族関係にあった一族ではないかとも言われています。

「篠尾廃寺跡」および式内社「分神社」の所在地については下記の地図をご参照ください。

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