酒生古墳群と御茸山古墳群
福井市の中心市街地を流れる足羽川の上流部、足羽川が山間部から福井平野に流れ込む入り口の右岸には「酒生(さこう)古墳群(成願寺山古墳群)」、そして左岸には「御茸山(みたけやま)古墳群」があります。
「越前若狭 地域史の謎に挑む」(青木豊明 著)に拠れば、足羽川右岸にある「酒生古墳群(成願寺山古墳群)」は5世紀初めに造られた酒生古墳(墳長70m)の前方後円墳を筆頭にして前方後円墳4基と前方後方墳1基を含む4世紀から7世紀中頃にかけての古墳、約330基からなる北陸最大級の古墳群だそうです。 一方、対岸の「御茸山古墳群」は「御茸山」の山稜を中心に前方後円墳4基と前方後方墳1基を含む約160基から成る古墳群だそうです。
また、これらの古墳群は古代豪族「生江(いくえ)氏」一族の墓ではないかと推測されるそうです。 そして、酒生古墳群がある酒生地区の「篠尾町」には「生江」一族の寺ではないかと言われる古代寺院「篠尾廃寺」の跡があります。
この「生江」一族は古代から平安時代後期に至るまで木簡や古文書にその名前を残している一族で、中でも7世紀中頃に活躍した「生江臣東人」と言う人は都に上り「造東大寺司」に使えて東大寺荘園の開墾に関わったり、足羽郡大領となって東大寺に開墾田を寄進したことが古文書に記されているそうです。
また、地方豪族として異例の「従五位下」という高位に列せられています。 なお、足羽川左岸の「御茸山古墳群」がある「御茸山」山麓には継体天皇の母「振姫」の先祖「伊波知和希命(いわちはけのみこと)」(磐衝別命の子)を祀る式内社「分(わけ)神社」(脇三ヶ町)や村社「大森神社」(南山町)があります。
このことから、「生江」一族は「振姫」と親族関係にあった一族ではないかとも言われています。
「篠尾廃寺跡」および式内社「分神社」の所在地については下記の地図をご参照ください。
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