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2007年12月 4日 (火)

継体天皇から紫式部へ

福井は12月に入り、雪雷の到来と共に初冬へと季節が移り変わってきました。
継体天皇が即位して1500年を迎えて各地でいろいろな記念行事が行われた2007年も終わりに近づこうとしています。

先日、福井市内中心部にある「足羽山」を訪れてきました。
山は紅葉も終わりに近づき、遠くには新雪に覆われた「白山」を望むことができました。
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この山稜部には継体天皇を祀る「足羽神社」があります。
最近まで社殿の建て替え工事が行われていましたが、社務所の一部を残して真新しい社殿が完成していました。
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この神社の宮司「馬来田(まくだ)家」は継体天皇の妃「広媛」の三女「馬来田皇女(まくだのひめ)」を祖先とするそうです。


Img_5786 また、「足羽神社」から約200m離れた山稜部には明治16年に円墳の上に建てられた「弓杖を持つ継体天皇像」があります。



記念の年は終わりますが、福井市を訪れる機会がありましたら、是非とも訪れてみてください。

さて、来年(2008年)は「継体天皇」に換わり、平安時代の女流作家とも言うべき「紫式部」が記した「源氏物語」の生誕1000年の記念の年です。

これは、「紫式部日記」の寛弘5年11月1日(グレゴリオ暦1008年12月7日)「五十日の祝」の記述に酒に酔った「左衛門督(藤原公任)」が「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらう」と紫式部に声をかけた」とあることから、この時期には「源氏物語」が読まれていたとする事からだそうです。

Img_4376_2 「紫式部」は福井県にもゆかりのある人です。

西暦996年(長徳2年)に父「藤原為時」が越前守に任命されたことから、父の身の回りの世話をするために越前国の国府(現在の越前市)に来たそうです。

しかし、藤原宣孝(のぶたか)との結婚の為に約1年半で都に戻ったそうです。

短い間でしたが越前国府での思いでは「源氏物語」の中にも現れていて、

「源氏物語・逢生(よもぎう)の巻」には「逢生の陰に深うつもりて 越の白山思ひやらるる」

「源氏物語・浮舟の巻」には「たとへ武生の国府にうつろい給ふとも 忍びて参り来なんを・・・・・・」

との記述を見ることが出来るそうです。

Img_4297 残念ながら越前市中心部に眠っているといわれる越前国府はまだ発見されていません。
しかし、市の南西部に造られた「紫式部公園」には日野山を望む紫式部像が建立されています。

そのほか、紫式部が都に帰る時に好奇心からわざわざ立ち寄ったと言われる越前海岸「大谷浦」に下る「たこの呼坂」跡には記念の案内看板が建てられています。(国道8号線沿い、道の駅「河野」から南に約500mにある旧大谷第1トンネル近くのドライブイン跡付近)
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「紫式部のプロフール」

本 名   不明、一説には藤原香子(こうし、或いはたかこ)

俗 称   紫式部 (紫は「紫の上」から、式部は父の官職名から由来したそうです)

生年月日   不明  (993年又は997年ごろ)

没 年     不明  (1014年又は1019年ごろ)

父   藤原為時 (藤原北家の出)
母   藤原為信の娘

本籍地(生家)
京都市右京区北之辺町(盧山寺境内付近)

職 業   一条天皇中宮「彰子」の女房
        女房名  藤式部(ふじのしきぶ)

略歴
996年(長徳2年) 越前国府へ
997年(長徳3年)晩秋から初冬頃 都へ戻る
998年(長徳4年)頃 藤原宣孝と結婚(三年後夫と死別)
999年(長保元年) 賢子(かんし・又はかたいこ)を出産
1005年(寛弘2年)12月  中宮「彰子」の女房となる
1011年(寛弘8年)頃、女房を辞める

没年について
通説では三条天皇の長和年間(1012年から1016年)に没したとされている。
長和2年(1013年)5月25日の藤原実資の日記「小右記」に紫式部が登場しているため、この日以降に没したのではないかと言われている。

墓について
京都市北区紫野西御所田町二番地(堀川北大路下ル西側)にある墓が紫式部の墓だと伝わっているそうです。

  

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コメント

前略、早速ですが、御社の継体天皇紀行の中の継体天皇の写真を小生の人類のルーツから探る「日本人の気質(かたぎ)について」の第八章で使わせていただきましたのでよろしく。なお、小生の文章をご覧になりたい方には、添付ファイルで送らせていただきます。ご遠慮なく。早々

前略、早速ですが、御社の継体天皇紀行の中の継体天皇の写真を小生の人類のルーツから探る「日本人の気質(かたぎ)について」の第八章で使わせていただきましたのでよろしく。なお、小生の文章をご覧になりたい方には、添付ファイルで送らせていただきます。ご遠慮なく。早々

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