番外編 紫式部と日野山
越前国府の南東にそびえる「日野山」は、養老2年(718年)に「泰澄」によって開山されたと言われ、越前五山(白山・越知山・文殊山・蔵王山・日野山)の一つです。
古文書には「ひのだけ(日野岳)」や「おたけやま(小健山・小岳山)」或いは「ひながだけ(雛ヶ岳・日永岳)」などの名前で登場します。
古くには標高795mの山頂に南社・中社・北社の三つの社があり、「不動明王」・「文殊菩薩」・「観音菩薩」が祀られ「三所権現」とも呼ばれていたそうです。
また、山麓にある「日野神社」は「継体天皇」とその皇子「安閑天皇」「宣化天皇」を祀り、奥社となる山頂の社にもそれぞれの天皇が祀られていたそうです。 さて、今から千年余り前の長徳2年(996年)越前守に任じられた父「藤原為時」と共に越前国府に遣って来た結婚前の「紫式部」はこの地で約1年半暮らしました。
このときに詠んだ和歌が「むらさき式部集」にいくつか収められています。
この中に雪に覆われた「日野山」を見て詠んだ歌があります。
暦に、初雪降ると書きつけたる日、目に近き日野岳といふ山の雪、いと深く見やらる
ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に 今日や
と歌っています。
この和歌は、暦に初雪の降る頃と書かれた日に近くの雪に覆われた日野岳を見て、都の小塩山にも雪が降っているのだろうかと都を懐かしんだ歌だそうです。
雪深い厳しい越前の冬を過ごした「紫式部」は、2回目の冬を迎える前に越前国府を後にして都へ戻ったそうです。
« 番外編 滅び行く古代からの道 | トップページ | 番外編 「源氏物語」と「たけふ」 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント