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2008年1月25日 (金)

番外編 「源氏物語」と「たけふ」

今から千年前の平安時代中頃、「紫式部」によって書かれた「源氏物語」の「浮舟の巻」には、「たとへ たけふの国府にうつろい給ふとも 忍びて参り来なんを、なほなほしき身ほどはかかる御為こそいとほしく待れ」と言う表現を見ることが出来ます。

Img_4297 この中に取り上げられている「たけふの国府」とは「越前国」の国府のことで、当時から「たけふ」と言う地名で呼ばれていたそうです。
この「たけふ」の地は現在の福井県越前市の中心市街地周辺に相当する地域で、東側を日野川左岸に接した日野川の自然堤防上にあったようです。

「たけふ」は漢字で「太介不」と書かれたようで8世紀末から9世紀初め頃に歌われた古代歌謡集「催馬楽(さいばら)」には「見知乃久知 太介不乃己不尓 和礼波安利止(みちのくち たけふのこふに われはありき)」との表現が残っているそうです。

しかしながら、中世に入って一般には「府中」と言われるようになり、「竹生」や「武府」などと表記された「たけふ」の地名が一部で使われるのみとなったそうです。

時代が変わり、明治2年に「府中町」から昔の地名「たけふ」を「武生」と表記して「武生町」となり、平成の大合併で「今立町」と合併して「武生市」から「越前市」に変わるまで「たけふ」の地名が使い続けられました。

Img_6322 「源氏物語」の著者「紫式部」は、長徳2年(996年)に越前守に任じられて越前国へ下向した父「藤原為時」と共に、国府が置かれた「たけふ」へ来ました。

1年半余りの短い期間でしたが、雪深い遠方の地での体験が「源氏物語」の中にも生かされていると言われています。


「武生」へは
JR北陸本線「武生駅」下車

車では
北陸自動車道「武生インター」から西へ約1.5キロ
または、国道8号をご利用ください。

Hinosan88

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