2006年12月27日 (水)

継体天皇 高向から樟葉宮への旅(1)

2007年は継体天皇が樟葉宮で即位して1500年を迎えます。
古代歴史書「日本書紀」に拠ると、
506年
12月8日 武烈天皇崩御
12月21日第1回後継者人選会議

第一候補の丹波国 仲哀天皇の五世孫である「倭彦王(やまとひこのおおきみ)」を後継者として迎えに行くが、逃げられる。

507年
1月4日 第2回後継者人選会議
1月6日 越へ「男大迹王(おおどおう)」(継体天皇)を迎えに行く。

2日3晩留まって即位を嘆願する。

1月12日 樟葉宮へ到着

2月4日 即位式

以上のような過程が書かれています。
(年月日は古代中国の「元嘉暦」という旧暦に基づいているらしい。)

では、継体天皇は越国高向からどのようなコースを通って樟葉宮へ向かったのでしょうか。

越国高向は現在の福井県坂井市丸岡町高田付近と言われています。また、樟葉宮は大阪府枚方市くずは丘2丁目にある「交野天神社」内にある「貴船神社」付近とされています。

古代の道については資料が少ないので確定は出来ませんが、「延喜式」に拠れば
越前国 三尾・足羽・阿味・朝津・丹生・淑羅・鹿蒜・松原
若狭国 (玉置)・濃飯・(葦田)・弥美
近江国 鞆結・三尾・和爾・穴太
山城国 山科・山崎
河内国 楠葉
以上の地名がコース上に挙げられます。
このコースは古代「北陸道」から「東山道」或いは「東海道」を経て「山陽道」或いは「南海道」を通って楠葉宮に至る道です。

現代風に言えば
丸岡インターから北陸高速道路に入り今庄インターで降りて国道365号及び県道207号で南今庄を経て中山峠を越え杉津で国道8号に入って敦賀に向かいます。
敦賀市内を抜けて敦賀市疋田で国道8号から国道161号に入り琵琶湖西岸を大津に向かいます。
あるいは、敦賀から国道27号で若狭町へ向かい国道303号で滋賀県高島市に至って国道161号に入ります。

大津からは三井寺付近で小関峠を越えて京都市山科に入ります。
山科から京都東インターから名神高速に乗り、大山崎インターで降りて国道478号で桂川・宇治川・木津川を渡り京都府八幡市にある石清水八幡宮近くの京阪本線橋本駅付近から男山の坂道を上がり交野天神社を目指します。
または山科から宇治方面に向かい、当時在った「巨椋池」の北側を迂回するように城陽市付近で木津川を渡り、京田辺市に入り八幡市から楠葉に至るルートも考えられます。
全行程約200キロの道です。

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行程の詳細については、これから検証していきたいと思います。

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2006年12月26日 (火)

継体天皇と橘曙覧

橘曙覧(たちばなあけみ)は江戸末期の歌人で正岡子規が絶賛した事で知られています。また、クリントン米国大統領が天皇陛下訪米の時の挨拶で「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」という橘曙覧の歌を引用して国内で再評価されるようになりました。
また、橘曙覧は歌人としてだけではなく「国学」も勉強していました。彼の師は飛騨高山に住む「田中大秀」と言う人で、この人は本居宣長の弟子です。
さて、橘曙覧と継体天皇の関係ですが、石橋重吉の著書「継体天皇と越前」によれば、彼の師「田中大秀」は継体天皇の御世系が知られていない事を遺憾に思い、「釈日本記」の中に引用されている「上宮記逸文」をもとに継体天皇の系譜を明らかにした「玉穂宮考」を書きました。
そして、弟子である橘曙覧に対して「国に帰って継体天皇に関係の深い「足羽神社」の馬来田宮司と相談して碑を建て、越前の人たちに知らしめるように」と言われました。
そして橘曙覧は師の志を受けて、馬来田(まくだ)宮司や同門の門人らと相談して足羽神社境内に継体天皇の御世系文が書かれた石碑を建立したと書かれています。
この石碑は現在も境内に立っています。しかし、文字が小さいので内容は解読しずらいかもしれません。

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Asuwazinzya11_1 なお、足羽神社の宮司「馬来田氏」は継体天皇のお妃「坂田氏の娘 広媛」の末娘「馬来田(うまくた)皇女」を祖先としていると言われています。

また、橘曙覧については、足羽山の愛宕坂(石段になっている)登り口近くに「橘曙覧記念文学館」があります。

Asuwayamakeitaizou11_2 その他、足羽山上の「福井市自然史博物館」横の円墳の上には「継体天皇像」があります。




足羽山はJR福井駅から約1.5キロの足羽川左岸にあります。登り口は幾つか在りますが、徒歩の場合は足羽川に架かる「桜橋」から左内交差点を渡り、石段が続く「愛宕坂」を経て「足羽神社」へ向かうコースや左内交差点から300mぐらい南へ行った相生交差点から「あじさい」が植えられたつづら坂を登るコースなどがあります。
(桜の開花時期には足羽川堤防の桜並木の道が大変に綺麗です。)

所在地については下記の地図をご参照ください。

1 足羽神社  
2 橘曙覧記念文学館
3 継体天皇像
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2006年12月22日 (金)

継体天皇の系譜をめぐる旅(5) 羽咋市

石川県羽咋市は能登半島の西側、金沢市と輪島市との中間に在り、羽咋市から東に七尾市まで延びる地溝帯「邑智(おうち)平野」沿いにはたくさんの古墳群が点在しています。
羽咋市は継体天皇の母「振姫」の祖先と言われる「垂仁天皇」の子「磐衝別命(いわつきわけのみこと)」によって平定されたと言われ、街の中心部に「磐衝別命」とその子「磐城別(いわきわけ)」の墓と伝えられる古墳とこれに隣接して二人を祀る「羽咋神社」があります。
日本書紀に拠れば、「磐衝別命」は「三尾氏」の祖と書かれています。また、「磐城別」の妹「水歯郎媛(みずはのいらつめ)」は景行天皇のお妃となり皇女を産んだと書かれています。

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「羽咋神社」周辺には「磐衝別命」の親族の墓や伝承に基づく「塚」が点在して「羽咋七塚」と言われています。

では、「羽咋七塚」をご紹介しましょう。


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1大塚 「磐衝別命」の墓

Hakuituka22 2大谷塚 「磐城別命」の墓





Hakuituka3 3水犬塚 「3匹の犬と怪鳥の墓」
この地域荒らし回っていた怪鳥を「磐衝別命」が退治して射落とした怪鳥の羽を犬がくわえて来たところ。
これに因み「はくい」の名が付けられた。

4宝塚  
「磐衝別命」が亡くなった時に宝物を埋めた



Hakuituka5 5媛塚  
「磐衝別命」のお妃の墓




Hakuituka6 6剣塚  
「磐衝別命の剣を埋めた所」




Hakuituka7 7痛子塚 「王女の墓」
母の病気を嘆いて亡くなった王女の墓




以上が「羽咋七塚」と言われているものです。

Hakutiketataisya1 なお、羽咋市にある「気多大社」は駅から北へ約3キロにある寺家地区にあります。



「羽咋七塚」の所在地は「痛子塚」だけが駅の東側(駅裏約300m付近)にありますがその他は「JR羽咋駅」から西へ約300mにある「羽咋神社」周辺にあります。

1 大塚     2 大谷塚
3 水犬塚   4 宝塚
5 姫塚     6 剣塚
7 痛子塚
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継体天皇についての伝承地(6)坂井市

福井県坂井市は継体天皇が母「振姫」と共に少青年期を過ごした地で、日本書紀に書かれている「坂中井」の地名から来ている「坂井(さかい)」を市名としています。この地には継体天皇に関わる多くの伝承が残って言います。
この伝承については「継体天皇の故郷を訪ねる旅(1)坂井市丸岡町」や「継体天皇についての伝承地(4)坂井市三国町」などでご紹介しましたが、坂井市の春江町及び坂井町地域にも伝承が残っています。

Himeou1 九頭竜川を挟んで福井市と接している坂井市春江町姫王地区は継体天皇の母「振姫」が晩年を過ごした「姫屋敷跡」が在ったと伝えられています。地区名の「姫王」もここから名付けられたと言われています。
現在は地区の西外れの道沿いに「振姫終焉の地」の石碑などが建てられています。また、地区内の「春日神社」は以前には「姫王神社」と言われ、「振姫」を祀っていました。

Isizuka1 また、姫王地区から約1キロ南にある石塚地区にある「石塚神社」の境内には「磐座(いわくら)」と言われる石が祀られています。
この石には継体天皇が近くを流れる九頭竜川の治水工事に在って、この石の上に立って工事の指揮を取ったと伝えられています。

その他、坂井市春江町西長田地区にある継体天皇を祀る「長田神社」は継体天皇と琵琶姫との間に生まれた千鶴姫の産湯を汲んだと言われる「長田池」が在ります。
なお、千鶴姫は幼くして亡くなり、下兵庫地区にある「大森塚」に葬られたと言われています。

また、春江町松木地区にも地区名の由来に関わる「継体天皇と三国の銚子口開口」の伝承が伝わっているそうです。

また、坂井市坂井町大味(おおみ)は「王見」と言われ、地区内にある「王屋敷」と呼ばれる所に宮があったと言われています。
現在は稲荷大明神を祀る小さな社が建っているそうです。

所在地については下記の地図をご参照ください。

1 姫王石碑(姫王)2 石塚神社(石塚)
3 長田神社(西長田)
4 王屋敷(大味)
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2006年12月16日 (土)

継体天皇についての伝承地(4) 坂井市三国町

Touzinbou11 福井県坂井市三国町(合併前の福井県三国町)は「三国湊」として古代より知られ、「越前かに」が水揚げされる三国漁港や切り立つ岩場で知られる「東尋坊」などで知られる港町です。

また、岐阜県境から福井県を縦断して大野市・勝山市・永平寺町・坂井市を通り日本海に流れ込む大河「九頭竜川」の河口に位置し、古代には大きな湖の口にあったことから「水の国」の意味で「水国(ミズクニ)」が変じて「三国」になったのではないかと言われています。

さて、この三国町で11月19日に「継体天皇と三国水門開闢(みくにみなとかいびゃく)」と題して富永亮一郎先生による講演会が開催されました。この講演会とその資料を参考にして、三国町に残る継体天皇に関する伝承地をご紹介しましょう。

これらの伝承は継体天皇がまだ皇子として「坂中井」に住んでいた時に古代にこの地方に在った大きな湖に水路(現在の九頭竜川の「銚子口」と言われる河口)を造り、日本海に水を放出して広大な農地を開く治水工事を行った伝承に関するものです。

Mikunizinzya11 山王地区
竹田川に架かる栄橋付近から集落に入ると正面に三国神社の鳥居が見えます。ここが継体天皇を祀る「三国神社」です。
昔は九頭竜川右岸の河口の近くにあった「水門(みなと)宮」に継体天皇が祀られていましたが、明治に入り三国神社境内の桜谷宮に合祀されて現在に至っています。
なお、「水門宮」に伝わっていた船の形をした「舟御輿」は北陸三大祭りの一つと言われる三国神社の例祭 「三国祭」の時に担ぎ出されます。
また、この地区には「御所垣内」と言う地名があり、ここに継体天皇の母「振姫」が御所を建てて住んだと伝えられています。

神明地区
この地区にある「神明神社」一帯は昔「枚岡山(ひらおかやま)」と呼ばれる小高い丘になっていたところで「清王町」や「清王畑」・「御井戸町」などの地名が残り、ここにも離宮が在ったと伝えられています。

Osima11_2 安島(あんとう)地区
この地区に陸上部と朱塗りの橋で繋がった「雄島(おしま)」と呼ばれる小さな島があり、この島には継体天皇の母「振姫」の出身氏である三尾氏の祖と言われる「磐衝別命(イワツキワケノミコト)」を祀っていた「大湊神社」があります。

梶地区
松島水族館の近くにある梶地区の「貴船神社」の境内には、継体天皇が休憩したときに座った伝えられる「腰掛石」が在ります。

Ikegamiikizinzya1 Ikegamihyoutyu1 池上地区
治水工事を行うための離宮があったとされる「池上地区」には、集落の中心部に日本武尊や継体・安閑両天皇を祀る式内社「伊伎加美(いけがみ)神社」があります。また、集落の北西部の丘陵部付近には継体天皇が暮らした跡として「大(王)屋敷山」や「王馬家畑(おばけばた)」・「堂池谷田」少し離れた所に「皇子池(みこがいけ)」などの地名が残り、現在はこれらの地には地名を期した標柱が建てられています。

Takeminatowakezinzya1 蒿(たけ)地区
この地区の「湊別神社」は、継体天皇が銚子口を開く治水工事の成功を祈願して神を祀ったと伝えられています。

Sinpokasugazinzya1 新保地区
九頭竜川に架かる「新保橋」を渡った九頭竜川左岸近くにある「春日神社」は継体天皇を祀る「片岸神社」を合祀して現在に至っています。

Yamagisikatagisizinzya1 山岸地区
新保地区の南にある山岸地区には「片岸神社」があります。この神社は昔、九頭竜川対岸の右岸川崎地区にある「鵜糞神社」を兄神とし、弟神として信仰を集めていました。祭神は継体天皇でしたが織田信長の越前進行により消失し、後に神明神社として再建されました。



所在地については下記の地図をご参照ください。

1 山王 (三国神社)  2 神明 (神明神社)
3 安島 (大湊神社)  4 梶 (貴船神社)
5 池上 (伊伎神社)  6 蒿 (湊別神社)
7 新保 (春日神社)  8 山岸 (片岸神社)
9 川崎 (鵜糞神社)  10 山王 (御所垣内)

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継体天皇の後継者たちへの旅(4) 坂井市・あわら市

福井県坂井市及びあわら市は坂井郡にあった6町がそれぞれ合併して出来た新しい市です。
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Touzinbou11_2 Maruokazyou11_1


このうち坂井市は日本海に面した断崖絶壁の「東尋坊」や「越前かに」が水揚げされる漁港などで有名な三国町と重要文化財に指定されている「丸岡城」や「日本一短い手紙」で有名な丸岡町及び春江町・坂井町が合併して出来た新しい市です。

Awaraonsen22004 一方あわら市は「いで湯の街・芦原温泉」がある芦原町と金津町が合併して出来た新しい市です。

Kuzuryuukakou11 この両市がある坂井平野は石川県と境を接する福井県北部の穀倉地帯で即位前の継体天皇によって九頭竜川の水口が開かれ干拓されたと言い伝えられています。
そして継体天皇の母、振姫の故郷(高向)であり、継体天皇が幼年時代から即位前まで暮らした故郷であり、継体天皇の皇子「椀子皇子」の子孫たちが暮らし続ける街でもあります。

Kunikamizinzya11_1 坂井市丸岡町(旧丸岡町)の丸岡城近くには継体天皇のお妃で三尾君の出身で倭媛(やまとひめ)が産んだ皇子「椀子皇子(まろこのみこ)」を祀る国神神社が在ります。
日本書紀に拠れば「椀子皇子」は「三国公」の先祖とされています。「三国公」は「三国君」や「三国真人」として日本書紀や続日本記などに中央の官人として名前が登場するほか、古い文献にも子孫たちの名前が登場します。丸岡町については、「継体天皇の故郷を訪ねる旅(1)坂井市丸岡町」もご参照ください。

この「三国公」の「三国」は地名ですが現在の「三国町」の様な狭い地域を表したのではなく、坂井地域あるいはその周辺も含む大きな地域の総称だったようです。
また、一説には古代の坂井地域には日本海に続く大きな湖や湿地帯が多くあった事から「水国」が変化して「三国」になったのではないかという説もあります。

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また、坂井市三国町(旧三国町)には垂仁天皇の皇子「磐衝別命(いはつきわけのみこ)」を祀る大湊神社や継体天皇を祀る「三国神社」(明治になって継体天皇を祀っていた水門宮を合祀した)があります。

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交通アクセス

坂井市丸岡町方面
車・・・・・北陸自動車道丸岡インター
     国道8号線
バス・・・JR福井駅前バス乗り場から丸岡方面行き
     JR芦原温泉駅バス乗り場から丸岡方面行き

坂井市三国町方面
車・・・・・北陸自動車道丸岡インター及び金津インターから三国・芦原方面へ
     国道305号線
電車・・・JR福井駅隣接えちぜん鉄道「福井駅」から「三国神社駅」または「三国駅」下車
バス・・・JR福井駅前バス乗り場から三国・東尋坊方面へ
     JR芦原温泉駅バス乗り場から三国・東尋坊方面へ

継体天皇の系譜をめぐる旅(3)石川県加賀市

継体天皇の母振姫(フリヒメ)についての家系は、垂仁天皇の子「イワツキワケノミコ」から続く家系です。

振姫の出身地は日本書紀のよれば「三国の坂中井」および「高向」とあり、現在の福井県丸岡付近です。ここには昔、高椋村(たかぼこむら)があり、振姫を祀った高向神社ありました。現在は福井県坂井市丸岡町高田に高向神社があります。また、丸岡町石城戸のある「国神神社」には振姫の父「コハチノキミ」を祀った高向神社が合祀されています。

さて、振姫の母親の家系を「上宮記逸文」にある家系図から見ると「ヨヌノオミ」の名前を見つけることが出来ます。この「ヨヌノオミ」は「江沼氏」のことで丸岡がある坂井平野とは県境をはさんだ石川県加賀市・小松市付近に本拠地を持った豪族です。この付近は「江沼郡」と言われ、越国から加賀国・能登国が分離する前まで越国に属していました。

Kituneyama11 写真は加賀市二子塚町にある「江沼氏」の古墳と言われている「狐山古墳」です。この付近には多くの古墳が点在していましたが現在は確認できないものも多いようです。
所在地は下記の地図をご参照ください。

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Teraikofun1 また、小松市の隣、能美市寺井(旧寺井町)秋常付近の和田山・末寺古墳群にある「秋常山(あきつねやま)1号墳」は石川県最大の前方後円墳です。

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継体天皇の系譜をめぐる旅(1)滋賀県米原市

日本書紀によれば、今から千五百年前(西暦507年)に継体天皇は樟葉宮(くづはのみや)、現在の大阪府枚方市楠葉で天皇に即位しました。
継体天皇の出生については謎が多く、その血筋についても疑問視されています。
さて、ここでは謎や疑問点について触れずに鎌倉時代に書かれた「釈日本記」の中に引用されている「上宮記逸文」にある、継体天皇の系譜に関わる人たちについてご紹介したいと思います。

まずは、継体天皇の父方の家系は「ホムツワケオホキミ」つまり応神天皇の子「ワカヌケフタマタノミコ」に続く家系で応神天皇の5世の孫とされています。父親は「ウシノミコ」です。

Okinagasihi1 父の出身氏についてはいろいろな説がありますが、現在有力視されているのは滋賀県米原市付近に本拠地を持っていたと言われる「息長氏」です。
日本書紀には三尾の別業と書かれており、現代風に言うと出張所という意味であることから、琵琶湖の対岸にあたる湖東に本拠地を持つ大豪族で大和政権とも深く結びついていたと言われる「息長氏」が挙げられています。また、「上宮記逸文」にある家系図の前半部分が「息長氏」の家系とも一致しているそうです。

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写真は米原市の旧近江町能登瀬地区にある「山津照神社」境内にある息長氏の古墳と言われている「山津照神社古墳」です。

この旧近江町付近には多くの古墳が点在しています。また、近くには出土した「はにわ」を展示した「はにわ館」があります。

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ここでその他の説も簡単にご紹介しましょう。

Takasimausiou11_1 三尾氏説
日本書紀によれば、近江国高島郡三尾(現在の滋賀県高島市三尾里付近)で生まれたとされています。(三尾氏は垂仁天皇の子「イワツキワケノミコ」を先祖としていることから一説には応神天皇の家系ではなく、垂仁天皇の家系という説もあります。)写真は旧安曇川町(現在は高島市)田中にある田中神社の山上部にある継体天皇の父親の墓と言われている「彦主王(うしおう)御陵」です。

越国の三尾氏説
この説は越国の地名にもかって「三尾」があり、本拠地は越国の三尾であると言われています。

以上のほかにもさまざまな説があります。

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